当時10代の新垣結衣三浦春馬が、命を燃やす演技で表した圧倒的なまばゆさ

新垣結衣と三浦春馬がW主演を務め、切なくも美しい恋を紡いだ映画『恋空』(2007年)。当時10代の2人が等身大で演じた男女の恋模様に、全世代の視聴者が心を打たれてしまうだろう。

本作は、美嘉の同名"ケータイ小説"を映画化したもので、書籍は200万部を超える人気作。想像を絶する悲劇に見舞われながらも、一途な愛を貫こうとするヒロインの青春を切なく描いた純愛ラブストーリーだ。

平凡な女子高校生の美嘉(新垣)は、同じ高校に通うヒロ(三浦)と運命的に出会い、瞬く間に恋に落ちるが、ヒロの元カノからの嫌がらせや妊娠、流産など想像を絶する悲劇に見舞われてしまう。高校生ながら互いに支え合って困難を乗り越えようとする中、美嘉はある日突然、ヒロから一方的に別れを告げられてしまう...というストーリー。

この作品で最も注目すべきは新垣、三浦ら役者陣の初々しさだろう。公開当時はさておき今現在同作を観ると、役者陣のフレッシュな演技が荒々しく心を揺さぶってくる。もちろん、近年の出演作品で見られる彼らの芝居と比べると粗削り感は否めないのだが、それを補って余りあるというよりも、また違った方向から放たれる強い光のまばゆさに圧倒されるような感覚を受けるのだ。

それはやはり10代の若い男女が織り成す恋の不自由さ、儚さ、ひたむきさを描いた作品性と、同年代のキャラクターを等身大で演じた役者たちの10代当時にしか出せないきらめきの奇跡的な化学反応によるものではないだろうか。

『恋空』に出演する新垣結衣と三浦春馬
『恋空』に出演する新垣結衣と三浦春馬

(C)2007 映画「恋空」製作委員会

役者はさまざまな経験を積み、さまざまな役を演じ、さまざまな芝居の技術を身につけていく一方、初々しさや全てに対して全力で臨む愚直さは失われてしまう。それが「成長する」ということだからだ。そんな中で、同作での新垣と三浦は、美嘉とヒロの若さゆえの強さと弱さを全力で表現しており、全力で表現するがゆえに生まれえる脆弱さまでも纏っている。

なぜそこまでの芝居が生まれたのか?それは当時の彼らがまだ芝居の技術的なものを十分に携えていなかったからこそ、心を燃やして演じ切ったからであろう。その姿勢が、"今"を全力で生きる10代の登場人物たちとぴったりと合致して顕現したのだ。

美嘉とヒロはきらめくような運命的な出会いを経て、世界中の幸せを手にしたかのような幸福な日々を過ごし、世界で1番不幸なのではと感じてしまうほどの悲劇を経験していく。ジェットコースターのように幸福と不幸を繰り返しながらも、互いに手を取り合い、時に背伸びをしながら成長していく2人。そんな2人を演じながら、新垣と三浦は美嘉とヒロの人間的成長を明確に表しているのだが、それは芝居の範疇を超えた「本物の成長」が見て取れる。

平凡な女子高校生だった美嘉はいつしか強い女性へと変ぼうを遂げ、激流のように周りを巻き込んでいく勢いのあるヒロは美嘉への愛から深い思いやりで相手を包み込む広大な優しさを持つ男性になる。物語の上ではわずか3、4年、視聴時間では2時間強で、この大きな成長を描き切るというのは、2人が命を燃やして演じたからこそ成せるものであるし、同作品以降すさまじく活躍する役者としての一級品の才能を有する2人だからこそ成し得た芝居だったともいえる。

加えて、10代の若者で構成される作品の世界観を支える共演者たちに目を向けると、波瑠、臼田あさ美、中村蒼、浅利陽介、香里奈、といった現在のエンターテインメント界のトップランナーたちが名を連ねており、奇跡的な2人の芝居も一級品の役者の才能を持つ若手俳優たちが力をぶつけ合いしのぎを削って作り上げたものがなくては生まれていなかったかもしれないということも触れておきたい。

今ではもう見られない10代ならではの粗削りでありながら全力で命を燃やした演技を受け止め、一流の役者の純度の高い一級品の才能に、心ゆくまで揺さぶられてみてはいかがだろうか。

文=原田健

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放送情報

恋空
放送日時:2021年12月8日(水)21:00~
チャンネル:WOWOWシネマ
※放送スケジュールは変更になる場合があります

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