「ブエノスアイレスの風」は、1998年の月組初演で話題を呼び、2008年にも星組で再演された。正塚晴彦氏の代表作のひとつといっていい作品である。
時は1900年代の半ば、長く続いた軍事政権が倒れ、民主化されたアルゼンチンの首都、ブエノスアイレスが舞台だ。激動が収束したところから物語は始まる。軍事政権下ではゲリラ活動のリーダーであったニコラス(暁千星)は政治犯として投獄されていたが、恩赦により出所してきたばかりだ。
そこに現れるのが、イサベラ(天紫珠李)とリカルド(風間柚乃)だ。タンゴ酒場に職を得たニコラスは、ダンサーとしての成功を夢見るイサベラのパートナーとなり、オーディションを目指すことになる。一方、海外で逃亡生活を続けてきた戦友のリカルドは、再びニコラスと共に闘うことを望んでいた。ニコラスの人生に、対照的な2つの人生が交錯する。
主人公ニコラスを演じる暁千星は、この作品を最後に月組から星組へと組替えとなった。本作での主演経験を糧にした暁は、「ディミトリ」では主人公と敵対する宰相アヴァク・ザカリアン役で抑えた芝居を見せ、「1789」では革命の闘士デムーラン役で存在感を発揮するなど、星組に来て一皮剥けた印象だ。そして、この10月には博多座「ME AND MY GIRL」での役替わり主演を控えている。
タンゴダンサーを目指すことになるニコラスは、歴代ダンスの名手が演じてきた役としても知られる。1998年の初演では紫吹淳、2008年の再演では柚希礼音、そして今回は暁千星である。一般にダンス巧者と言われる人は、ダンスが上手くなっていく過程を見せることも巧みだが、暁もまた例外ではない。
天紫演じるイサベラは、不幸な境遇を背負いながらも、ダンスに懸けるストイックさでは誰にも負けない健気な女性だ。セリフではなく、ダンスで2人の心の距離が近づいていくのを感じさせる。
同じ元ゲリラでも大学まで行くことができたニコラス(暁)と孤児院出身のリカルド(風間)では、醸し出す雰囲気も世の中の見方も違う。暁・風間はそれがよく伝わってくるコンビで、後半に待ち受ける展開の悲劇性をいっそう際立たせてみせる。
3人の周辺に、さらにまた別の人生が交錯する。マルセーロ(彩海せら)は、「いつかデカい仕事で大儲けしてやる」を口癖に小さな悪事を重ねているが、どこか純情で憎み切れないところがある。
元・秘密警察のビセンテ(礼華はる)は、かつては権力者側にいた人物だが、新政府の元で生き直しを迫られている。そのビセンテが愛するエバ(羽音みか)はニコラスの昔の恋人だが、彼女もまた、過去と訣別して新しい道を踏み出そうとしている。
さりげないけれど選び抜かれた言葉でつづられるセリフと絶妙な間を積み重ねながら、物語は淡々と進んでいく。誰もが、それぞれのやり方で新時代を生き抜こうと、もがいている。この作品は、そんな人々の群像劇でもある。
新しい時代に適応できない命もあり、簡単には果たされない望みもある。それでも人は皆、それぞれの場所で懸命に生き、新たな絆を結び育てていく。そんな結末が、ブエノスアイレスに吹く風のような爽やかさを感じさせる。
文=中本千晶
放送情報【スカパー!】
ブエノスアイレスの風('22年月組・ドラマシティ)
放送日時:10月7日(土)23:00~ほか
放送チャンネル:TAKARAZUKA SKY STAGE
※放送スケジュールは変更になる場合があります
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