11月23日にライブツアー「まだまだ一生懸命 PART2」のファイナルを東京国際フォーラム ホールAで迎えた"ジュリー"こと沢田研二。75歳にしてパワフルなステージを見せる姿は"さすがスーパースター!"という風格がある。
1967年にザ・タイガースのメンバーとしてシングル「僕のマリー」でデビューし、「シーサイド・バウンド」「モナリザの微笑」「君だけに愛を」などのシングルの大ヒットでGS(グループサウンズ)ブームを牽引する存在となった。"貴公子"や"王子"のような端正なルックスも含め、10代・20代の女性を中心に熱狂的ともいえる人気を博していた。今では多くのアーティストが行っている"スタジアムコンサート"も、1968年8月にザ・タイガースが行った東京・後楽園球場公演が日本初だった。
1971年にザ・タイガースが解散し、"ショーケン"こと萩原健一らとスーパーバンド"PYG"を結成したりしたが、同年11月1日に沢田は作詞・岩谷時子、作曲・宮川泰によるシングル「君をのせて」でソロデビューも果たした。バンドからソロへと転身した後も、1973年4月にリリースした「危険なふたり」がオリコンランキング1位を獲得し、ソロとしての人気もしっかりと確立。その後もエモーショナルな歌声を聴かせてくれる「胸いっぱいの悲しみ」、艶っぽい魅力を放つ「魅せられた夜」、バンドサウンドを打ち出した「恋は邪魔もの」といったタイプの違うシングルをリリースしていく。1974年7月10日に哀愁漂う「追憶」をリリースし、オリコン1位を獲得。年末の「NHK紅白歌合戦」でもこの曲を歌唱した。
そんなソロアーティストとしての人気を確立しつつ、さらにスーパースターへと進化していく中での沢田の姿が見られるのがバラエティ番組「アタック!真理ちゃん」だ。
「アタック!真理ちゃん」は、70年代を代表する"国民的アイドル"天地真理の冠番組。「ミュージカル・メルヘン 真理ちゃんとデート」「ミュージック・ホームドラマ となりの真理ちゃん」「ファミリーストーリー とび出せ!真理ちゃん」に続く「真理ちゃんシリーズ」第4弾として、1974年4月4日から9月26日の約半年間放送された。
同番組は、司会を天地真理と桂三枝(現・桂文枝)が務め、豪華ゲストたちと繰り広げる、歌あり、コントありのバラエティー番組。沢田が出演したのは1974年6月27日放送の「第13回 三枝のダメ親父!」の回で、他にあのねのね(清水国明、原田伸郎)が出演。「アタック!真理ちゃん」のテーマ曲「あなたとともに」が流れ始めると、客席に登場したゲストの沢田とあのねのねを天地が紹介し、観客も一緒に歌って番組がスタート。
沢田はジーンズにレース時の白いブラウスという衣装で、カジュアルでありながらも貴公子的な佇まいを見せてくれている。最初のコーナーで、天地と二人でコーヒーカップが置かれたテーブルを囲み、ビリーバンバンのヒット曲「白いブランコ」をデュエット。そんな中、ハゲヅラをかぶった三枝とあのねのねが乱入するドタバタコントに突入。沢田も京都出身なだけに関西弁で参戦するなど、かっこよさだけでなく親しみやすさも感じさせてくれる。
この回で、沢田が歌唱した自身の曲は、作詞・安井かずみ、作曲・井上堯之による「遠い旅」。この曲は9枚目のシングル「恋は邪魔もの」のカップリング曲ということで、シングルの表題曲ではない曲を聴ける貴重な回となっている。優しく、そして切なく歌い上げ、会場の観客もうっとり聴き入っていた。
天地と沢田といえば、1972年9月に公開された天地真理の初主演映画「虹をわたって」に、天地の相手役として沢田が出演。劇中で沢田はソロデビュー曲「君をのせて」を歌唱している。そういう縁があっての「アタック!真理ちゃん」出演ということが分かると、デュエットでの相性の良さもうなずける。
沢田は、1975年8月に自身最大のヒット曲となる「時の過ぎゆくままに」をリリースし、1977年5月に「第19回日本レコード大賞」を受賞する「勝手にしやがれ」を発表。それからも「憎みきれないろくでなし」「サムライ」「ダーリング」「カサブランカ・ダンディ」「TOKIO」など続々とヒット曲を生み出していく。俳優業も含めて表現者として常にチャレンジし、75歳の現在も精力的に活動中だ。
文=田中隆信
放送情報【スカパー!】
アタック!真理ちゃん<ゲスト:沢田研二>(1974年6月27日放送) 『第13回 三枝のダメ親父!』
放送日時:2024年1月2日(火) 00:30~
放送チャンネル:ホームドラマチャンネル 韓流・時代劇・国内ドラマ
※放送スケジュールは変更になる場合があります
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