その刺々しい内容にそぐわない、口当たりのいいタイトルは「忍び寄ってくるもの」を指す言葉だ。2016年に公開された本作『クリーピー 偽りの隣人』は、第15回日本ミステリー文学大賞(新人賞)を獲た前川裕の同名小説を原作に、日常に潜む殺人者の恐怖を描いたサイコサスペンスだ。2020年製作の『スパイの妻 劇場版』で第77回ヴェネツィア国際映画祭の銀獅子賞(監督賞)を受賞し、国際的な評価をさらに高めた黒沢清監督が、本作を娯楽的な要素の強い商業長編に仕上げている。
■実在の殺人事件を匂わせる生々しい恐怖...
大学で犯罪心理学を教える大学教授の高倉(西島秀俊)は、2つの懸念に心を砕いていた。1つは6年前に起きた、一家失踪事件の分析依頼。そしてもう1つは、引っ越し先の挙動の怪しい隣人、西野(香川照之)の存在だ。前者は調査を重ねていくにつれ、その失踪に一家とは別の介入者の存在が浮き彫りになっていき、後者は高倉の妻、康子(竹内結子)が西野家との距離を詰めていくと、西野の一貫性のない言行と、彼の娘である澪(藤野涼子)が放った独白に戦慄を覚えることになる。
「あの人、本当のお父さんじゃないんです...」
失踪した家族と、謎に満ちた家族――。映画はこの連関のない2つの物事を「支配する他人」という不穏な要素で結びつけていく。そして両者の因果関係が明らかになっていくにしたがい、高倉の身に想像を絶する危険が及んでいくのだ。映画は予測不能なスリラーとして成立している原作を後半で大きく改変させ、黒沢作品らしい不条理なドラマ生成との調合を果たす。タイトルが持つ意味を継受しつつ、独自の世界が形成されているといっていい。そこには、殺意が特殊な伝搬を通じて拡散していく『CURE キュア』(1997年)や、死者が現世にあふれ出て、我々の社会が侵蝕されていく『回路』(2000年)などにテイストは近いものがあり、ジャパンホラーの興隆を牽引した人物としてスケアリーな題材を扱ってきた黒沢の恐怖哲学が、見事なまでに作品に作用している。
そんな作り手の独自性に併せ、映画は実在の殺人事件をベースとした加工の跡が見られる。特に主犯が、被害者を身内で殺し合うよう仕向けたとされる「北九州監禁殺人事件」や「尼崎連続変死事件」、古くは被害者家族の娘が旅行中で難を逃れた「練馬一家5人殺害事件」あたりを想起させ、生々しい感触を観る者の表皮に擦り込んでいく。
もっとも実際の出来事を思わす要素は原作にもあるが、こちらは設定や描写を練り上げた際にシームレスにフィクションに溶け込ませたものだ。映画はそれを水戻ししたかのような膨張をもって顕在化させ、この物語が遠景を眺望するような他人事ではなく、我々の日常感覚に密接したものであることを演出していくのである。まさにストーリーのごとく「身近に潜む怪しい隣人」のように。
■ホラー映画の古典『悪魔のいけにえ』への良質なオマージュ
このようにセンセーショナルでキャッチーな題材への取り組みは、過去の黒沢作品を参照していくとやや通俗的に思えるかもしれない。だが、それは自覚的なもので、当時の発表作として侵略SFの鋳型に自己表現を収めた『散歩する侵略者』(2017年)があるように、大衆的なジャンルムービーを肩慣らし的に手がけてきた傾向が見られる。『クリーピー』も大手メジャーの商業映画として成立させるにあたり、こうしたアプローチを適合させた同種といえるだろう。
また、そんな取り組みがあらわにしたのは、監督が敬愛するトビー・フーパー作品への意識的なトレースであり、とりわけフーパーの代表作にして、異常な殺人一家の凶行を描いたホラー映画の古典『悪魔のいけにえ』(1974年)への良質なオマージュを、設定や造形の面で含んでいる。同作もまた、実在の連続殺人(エド・ゲイン事件)をモチーフにした映画であり(詳しくは本コラム『サイコ』の紹介を参照)。それらが連綿と繋がるさまには反射的に「負の創造連鎖」と歪な形容を与えたくなる。
そしてなにより、善人の皮をかぶったサイコパスが、マインドコントロールで他者を支配する――。この恐怖感覚に勝るものはない。はたして、自分は隣に住む人の素性を、いったいどこまで把握しているのだろう?
文=尾崎一男
尾崎一男●1967年生まれ。映画評論家、ライター。「フィギュア王」「チャンピオン RED」「キネマ旬報」「映画秘宝」「熱風」「映画.com」「ザ・シネマ」「シネモア」「クランクイン!」などに数多くの解説や論考を寄稿。映画史、技術系に強いリドリー・スコット第一主義者。「ドリー・尾崎」の名義でシネマ芸人ユニット[映画ガチンコ兄弟]を組み、配信プログラムやトークイベントにも出演。
放送情報
クリーピー 偽りの隣人
放送日時:2022年3月12日(土)21:30~、20日(日)20:00~
チャンネル:東映チャンネル
※放送スケジュールは変更になる場合があります
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