楽天・田中将大投手の初登板を多村仁志礒部公一が回顧

写真左から 礒部公一、多村仁志
写真左から 礒部公一、多村仁志

2007年当時、福岡ソフトバンクホークスに在籍していた多村仁志と東北楽天ゴールデンイーグルスの初代主将・礒部公一が、スポーツライブ+で放送される「球人たちの記憶」に出演。同番組は、福岡ソフトバンクホークス主催試合の中からファンの印象に残っている試合をピックアップし、その試合の当事者たちが映像を見ながら振り返っていく。

8月23日(火)の放送回では、2007年3月29日に福岡Yahoo!JAPANドーム(現・福岡PayPayドーム)で行われた「ソフトバンク×楽天」戦を取り上げる。田中将大投手のプロ初登板という記念すべき試合を、当時スタメンで出場していた多村と礒部が解説する。

今回、収録後の多村と礒部にインタビューを行い、自身が出場した試合を解説した感想や高卒ルーキーだった田中投手の印象などについて語ってもらった。

――ご自身が出場した試合を解説した感想は?

多村「久しぶりに当時の試合を見てどんどん記憶がよみがえってきて、『ああだったな、こうだったな』『こういう選手がいたな』『若いなあ』など、逆に新鮮に見ることができました」

礒部「久しぶりに若かりし頃の自分と多村くんを見ましたけど、今思えば考えられないなと。コーチの経験もあるんですけど『よくあんなボール打ってたな』って(笑)。昔を思い出して新鮮な気持ちになりました。特に今球界を代表する田中投手の初登板で同じグラウンドに立てたっていうのはいい記念になりますよね」

――現在野球解説者としての視点から見て、当時のご自身の良いところや課題など、1選手としてどう評価されますか?

多村「この試合3三振してるんでね...(苦笑)。見てると、迷いながら(バットを)振ってるなという印象がありましたね。あんなに体勢を崩した空振りというのはそんなに記憶がないので、パ・リーグ1年目というのもあって、対戦する投手たちの球種などのデータは(情報として)もらっていたんですが、自分のイメージとのすり合わせに時間が掛かっていたんじゃないかと。そんな中で、たまたま甘いボールが来て、それを打ち返したのがあの一打(田中投手をノックアウトした2打席目の2点タイムリーツーベース)だったと思います。キャンプでも調子が良くていい状態で開幕に入れていたので、ここっていう時にその1球を見逃さないバッティングというのはさすがだなと(笑)」

礒部「この試合ではヒットは打っていないんですけども、ランナー3塁で(犠牲フライで)しっかり打点を上げることができたので、プロ野球選手でレギュラーで出るならば当たり前なのですが、あの時にあの場所に立てていたことが本当にいい思い出です」

多村「でも、あれは(捕球したセンターの)大村(直之)さんじゃなかったら抜けている当たりですからね」

――この試合がプロ初登板だった田中投手の当時の印象は?

多村「高校の時の印象が強かったですし、僕は打席に立っていないのですがオープン戦でホークス相手に投げていて『いいピッチングをした』という印象があったので、『どういう感じだろう』という思いでバッターボックスに入りました。1球目、インサイドのボールをファールした時に、当時は、球速は出ているんですけど体感速度が数字より遅く感じたので、『真っ直ぐは大丈夫だ』って思えたんですよね。だからこそ2打席目に打てたっていうのがあると思います。でも、打席に立っていて彼の並々ならぬ闘争心というのは強く感じました。そして、マー君のプロ初奪三振の相手が僕だったっていうのは、ちょっとうれしいです(笑)」

礒部「長いこと野球界にいてドラフト1位で入ってくる高校生をいろいろ見てきていますけど、『その中でもやっぱり人間的にしっかりしているな』っていうのを一番最初に感じました。野球に対する姿勢も素晴らしくて、1年目から"自分が上手くなろうとする努力"をする人間だったので、そういったものがあって今の田中投手が出来上がっているんだなと思いますね。今日の映像でも負けん気の強さが出ていましたが、やはりそういう気持ちがないとプロ野球の世界で成功できないと思うので、そういうところも含めて当初から(成功する要素は)あったんじゃないかなと」

多村「初勝利がホークスからですもんね」

礒部「完投でリベンジして初勝利だからね。そういうところもやっぱり昔から持ってるよね」

――15年前の試合でしたが、時代を感じたシーンは?

多村「アオダモのバットを使っている人って、今はいないんじゃないかな?」

礒部「素材がないからね。バットもそうだけど、球場もテラス席がなかったよね。あと、人工芝が昔の人工芝だった」

多村「そうですね。あの硬い感じの!でも、映像がきれいだからあまり(時代の流れを)感じなかったですね」

――現役選手は他の選手のバットの素材などを気にして見ているものなのですか?

多村「僕は道具が好きだったので、いろんな選手の道具を見ていましたね」

礒部「見るよね!自分の道具を触られるのが嫌な選手もいるので触りはしないですけど、よく見てました」

――現役時代の道具へのこだわりを教えてください。

多村「僕は、バットは横浜にいた(ロバート・)ローズ選手の形そのままで、彼のバットの素材はホワイトアッシュだったんですけど、僕のはメープルで重さは970gでした。グラブに関しては、メーカーは違うんですけどイチローさんの物と同じ形で作ってもらった物を使っていました。いろいろ試したんですけど、『やっぱりいい選手と同じグラブにすれば自分もよくなるんじゃないか』という安易な考えで...(笑)。あとは、いろいろデザインを考えたりするのが好きだったので、当時他にはいなかったプーマのスパイクを履いていました」

礒部「僕は、バットは外国人選手がよく使うようなグリップが細くて芯のところが太くて、長さは短めの33インチ、素材はアオダモの物を使わせてもらっていました。アオダモは独特の吸い付く感じがあって、(打った時に球を)押し込める感じがよかったので。グラブは普通の外野手が使う大きい物はあまり好きじゃなかったので、普通の外野手の物よりちょっと短めにして、綿を抜いてもらって、けっこうなめしてもらった柔らかめのやつを使っていました」

多村「"なめす"とか久しぶりに聞いたな(笑)。よくやってましたねぇ。お風呂に入れて乾かして(グラブの型を)作ったりとか。バットも湿気を抜くために乾燥剤を入れたジュラルミンケースに入れたり。今は(球場に)乾燥室があるので、そこに入れたりしますけど」

礒部「僕もジュラルミンケースを自分で買って保管していました。遠征の時は普通のケースに入れていましたけど、ホームでは自分のロッカーの横にジュラルミンケースを置いて、中に乾燥剤を入れて乾燥させていました」

――お2人の一番記憶に残っている試合は?

多村「ホークス時代だと2007年のオリックスとの開幕戦で2本ホームランを打ったというのが一番印象に残っていますね。チームは負けてしまったんですけど、2本ホームランを打ったことでチームに馴染めたというか、ファンにあいさつできたような気がしたので一番印象に残っています」

礒部「僕は、2005年の本拠地開幕戦。楽天移籍1年目で、チームが1勝4敗、僕は15打数ノーヒットでフルキャストスタジアム宮城(現・楽天生命パーク宮城)に戻ってきた、西武との試合です。1番で打席に立たせてもらって先頭打者ホームランを打って、しかもそれが楽天球団1号で!移籍1本目のヒットがホームランで、球団1号で、その試合も大勝できたので、印象に残っていますね。今でも球場のバックスクリーンの裏側の壁に(記念のプレート)貼ってあって、右中間スタンドから見えるらしいです」

――最後にファンの皆さん、視聴者の方々にメッセージをお願いします!

多村「田中投手の初登板でもありますし、僕のホークス1年目でもありますけど、放送内の僕と礒部さんの面白い話を楽しんでいただけたらいいなと思います(笑)」

礒部「昔のおっさん2人が出ているので楽しく観ていただければ!」

文=原田健

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放送情報

球人たちの記憶#9 ~ソフトバンク×楽天(2007年3月29日開催)
放送日時:2022年8月23日(火)21:00~
チャンネル:スポーツライブ+
※放送スケジュールは変更する場合があります

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