北海道日本ハムファイターズがファームの本拠地を置く鎌ケ谷スタジアムは日本球界でいち早く「ボールパーク」を打ち出し、プロレスやお化け屋敷などの企画を開催して独自の魅力を築いてきた。そんなスタジアムで"謎の二刀流"として盛り上げ、人気を博しているのが「DJチャス。」。
なぜ、ファイターズのファームは独自路線を歩むようになったのか。「DJチャス。」こと球団職員の中原信広に聞いた。
■鎌ケ谷移転10年目の転機
僕が首都圏事業部(現:鎌ケ谷事業部)の一員として鎌ケ谷に配属されたのは2006年です。ちょうど陽岱鋼や武田勝がファイターズでプロ生活をスタートさせた年で、ファームの本拠地が鎌ケ谷に置かれて10年目というタイミングでした。
「鎌ケ谷に行ってくれるか?野球の試合をやるだけじゃなくて、球場にお客様をたくさん集めて盛り上げてくれ」
当時の藤井純一社長に呼ばれ、そんな短い言葉をかけられたことを覚えています。きれいな言葉で言えば、「ボールパーク」をつくり上げろということでしょうね。
ご存じのように、ファイターズは2004年から一軍の本拠地を東京から北海道に移しました。僕としてはチームが落ち着くまでは北海道で働きたいと思っていたので、いいタイミングで辞令が言い渡されました。
■大成功だった「鎌スタ☆祭」
鎌ケ谷スタジアムは両翼100m、中堅122mで収容人数2400人、外野は天然芝という立派な施設で、1997年にオープンしました。ところが僕が赴任した2006年当時は、コアな"野次将軍"みたいな方が50人ほど点在して観戦しているくらいという状況でした。
鎌ケ谷に来て10年目を迎えるのに、なんで街の中にファイターズの色がまったくないのだろうか。そう思ってまず行ったのが、のぼりを3000本ほどつくって街に飛び込んでいったことです。
北海道でも移転後にすぐに受け入れていただいたわけではなく、時間をかけて関係性を深めていきました。鎌ケ谷でも最初は断られましたが、地元の方々を1軒ずつ訪れて、こちらの熱意を伝えていきました。地元の教育委員会にもお願いし、今では協力体制がすごく築かれています。
大きく気運が変わったのは、2007年7月に開催した「鎌スタ☆祭」です。地元の方々に出店してもらい、町の一大祭りにしようと企画しました。
イメージとしては「お祭りの中で野球の試合がやっているよ」という感じで、初めて外野でジンギスカンをつくってビールを飲みながら野球の試合を見られるようにするなど、いろんな取り組みをしました。お客さんが入り切れないくらい超満員になって、5200人くらい来場したと思います。あの頃から、本格的に風向きが変わってきたなって感じられましたね。
■アメリカで見つけた"独自路線"
鎌スタは地元の方々と「一緒に盛り上がりましょう」というイメージで、野球場というより、町のコミュニティのようになっていきました。年間の観客動員は3万人くらいから4万、5万と増えていき、7万人を突破。2010年くらいがピークでした。
ちょうどその年、球団がアメリカに野球を見に行くということで、視察団に入れてもらいました。メジャーリーグも見ましたが、特に衝撃的だったのがマイナーリーグや独立リーグです。選手個々を見ても誰なのかさっぱりわかりませんが、ものすごく盛り上がっているんです。
僕たちが訪れたのはセントポール・セインツというミネソタ州のチームで、当時は独立リーグに所属していました。平日の朝10時くらいに球場に行くと駐車場にたくさんの車が停めてあって、それぞれがバーベキューセットを出してホームパーティーが始まっていたんです。昼間の時点で4000人ほどいたと思います。
かたや日本の状況はと言うと、ファイターズのファームは多くのファンが見に来ていただけるようになっていましたが、他球団の観客は何十人という世界です。文化の違いとはいえ、アメリカとの差はなんだろうかと、衝撃を受けました。
ビックリしたのが、ボールパークの主役は野球なのかイベントなのか、わからなかったところです。7回のラッキーセブンではお決まりの球団歌が流れるのではなくて、MCがグラウンドの目立つところに出てきて歌っていました。
試合中も、例えば2回が終わったときにいきなりファンの人が声援を上げながら出てきて、ベースランニングをしてヘッドスラインディングでセカンドベースに滑り込む。そこに選手が登場し、ベースにサインを書いてプレゼントする。イニングの合間にいろんなイベントが入っていて、これは楽しめるはずだと思いました。
スポーツ観戦と言えば、どうしても勝った、負けただけで語られることが多いじゃないですか。「楽しむ」という観点は、それまでの日本ではあまりなかったと思います。だからこそ、「楽しみを追求するのはいいよね」と思ったことが鎌スタにとっても一つの転機になりました。
■「DJチャス。」誕生の裏側
アメリカを視察した翌2011年、12年と、鎌ケ谷の年間観客動員は5万人台に落ち込みました。何とか打破しなければいけないという状況で、活きたのがアメリカで見てきた経験です。
そうして2014年、「DJチャス。」というキャラクターが生まれますが、本当は違う展開を考えていたんです。スタッフ全員でピエロになって、ディズニーランドみたいなイメージでお客さんをもてなす企画でした。
ところが蓋を開けてみると、みんな、裏方に引っ込んでしまって......。表に出ないのは日本人の美徳でもありますが、言い出しっぺの自分がやるしかないと思ったことが「DJチャス。」が誕生したきっかけです。
名前の由来は、自分が先輩や同僚に対して「(こんに)ちわっす」と挨拶していたのを、元選手で引退後に駐米スカウトを務めたマット・ウインタースに「チャス」とマネされたことです。今では"謎の二刀流"というキャラでファンの皆さんに親しんでもらっていますが、最初から受け入れられたわけではありません。初めは何をやっても静かだった球場の光景は、すごく覚えていますね。
そんな状況を打開するべく、始めたのがマイクパフォーマンスです。「DJチャス。」になる前からグッズ売り場などで行っていて、もともと得意でした。
僕が赴任した当時の鎌ケ谷には野次将軍みたいな観客ばかりで、どうすればいいだろうかと考えて、一人ひとりの名前を覚えて笑いに変えようとしたんです。こっちから近づいていって、皆さんに馴染んでいくのがいいと思いました。
そうした下地があったので、「DJチャス。」のマイクパフォーマンスでもところどころで野次将軍の方々と絡みました。
「△△さん、ダメですよ。『飲むな』とは言いませんけど、ワンカップを一杯だけにしてくださいよ」
そう言うとスタンドから笑いが起きて、その方も周囲が盛り上がったことで機嫌が良くなり、「よっしゃあ!頑張れ!!」と前向きな声を上げてくれました。
酔っ払ってひっくり返ったら、「△△さん、いいですか。あまり言いたくないですけどね、あと1回やったら奥さんに言いますからね」「いやあ、それだけは...」というやり取りをして、どんどん味方に引き込んでいく。そんなことをするうちにどんどん笑いが取れるようになりました。ファンに対して一方的に話しかけるのではなくて、"キャッチボール"をしたことが良かったのかもしれません。
■"やりたい放題"の鎌スタ
今年で僕が鎌ケ谷に赴任して17年目。開催したイベントを挙げればきりがないですが、動物園をつくったり、プールを用意したり、映画祭を開催したり、やりたい放題やらせてもらいました。トラクターでお客さんを引っ張って、グルグル回したこともあります。
鎌ケ谷の名産である梨とセットにした入場券を発売するなど、この地にボールパークがあるからできることがたくさんあります。9月11日(日)の楽天戦では、「木田優夫BOSS組監督バースデーイブ」を開催します。ファームの木田監督が翌日に誕生日を迎えることにちなみ、さまざまな企画を準備中です。
コロナ禍では制限もありますが、できるところを少しずつやっているところです。"勝った、負けた"だけでは語れないのが、ファイターズのファームの魅力。すごく愉快で面白い球場だと思うので、ぜひボールパークへ遊びにきてください。
インタビュー/構成=中島大輔
【インタビュー後編はこちら】 ※後編は8月29日10時00分に公開予定
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