【前編】ゴッホ向井ブルー「木村拓也に救われ、北別府学のおかげで今がある」。無名漫才師から人気"カープ芸人"に飛躍した男が語る、プロ野球を最高に楽しむ方法
- スポーツ
- 2022.09.18
生まれ育った広島に拠点を置き、地元局から全国ネットの人気番組に"カープ芸人"として出演して視聴者を楽しませているゴッホ向井ブルー。各地の劇場やテレビ番組では、野球に明るくないお笑いファンにもマニアックなカープネタで爆笑をとっている。物心ついた頃から"赤く"染まってきた向井が語る、カープとファームの魅力とは――。
■一家に一人の"疑似監督"
"広島県人あるある"で、両親が大のカープファンで幼い頃から土日になると広島市民球場に連れて行ってもらいました。「カープはとてもいいものだよ」「カープを応援するのが当たり前なんだよ」って教えられて育ちましたね。
僕が生まれたのは1990年2月で、カープがその近辺で最後に優勝したのは1991年。物心ついてから、カープが優勝から遠ざかっていた25年間がありました。
カープが勝たないとお父さんの機嫌が悪くなるんですけど、いつも負けているのでずっと怖かったです(苦笑)。プロ野球ファンのオヤジがいる家庭では"一家に一人の監督"が勝手にいるじゃないですか。自分がチームの監督かのように、テレビに向かって「何でここで代えんのんじゃ!」とか、「ああ、ダメじゃ。△△はこれで二軍じゃ」とか文句をずっと言っている。自分が疑似監督になり、それを一つの娯楽として楽しんでいるんです。
そんな家庭で僕は育ち、自然とカープが好きになりました。チームはずっと弱くても、好きな選手を見つけて応援していましたね。
■心に入ってきた木村拓也の言葉
どのメディアでもよく使われる言葉で、「カープ=家族」というものがあります。広島県民や広島市民の皆さんから支えられて、戦後復興の頃にできた市民球団です。僕はそんな土地で生まれ育って、「カープは家族」という言葉がすごく感じられた学生時代をすごしました。
特に身に染みたのが中学生時代で、親にも言わずに不登校だった時期があったんです。朝、制服を着て家を出るけど、学校には行かずにどこかでさぼっていました。
実家が広島東洋カープ大野屋内総合練習場に近くて、学校とは逆方面の電車に乗って遊びに行っていました。当時はグラウンドの隣まで入れて、ファームで頑張っている選手の練習をネット越しに間近で見られたんです。
グラウンドや室内練習場、大野寮を選手が行き来するときに、「サインください」「写真撮ってください」って自由に声をかけられました。平日の昼間なので大人数ではなかったけど、何人かのファンが選手に会いに来ている中に中学生の僕がいて。趣味の一つでサイン集めをしていて、ファームにいた木村拓也さんに「写真撮ってください」と声をかけました。
「君、若いね!学生?学校はどうしたの?」って素朴な疑問を聞かれて、正直に、「実は今、学校に行きたくなくて、今日もさぼってここに来てしまいました」と打ち明けました。
「そっか、まあ、大丈夫だよ。大人でも朝起きて、『ああ、今日、会社行きたくねえな』っていうとき、結構あるよ。だからさ、焦らなくても大丈夫だよ」
すごい笑顔でそう言ってくれたんです。その言葉が中学生の僕には心にすっと入ってきて、かなり気持ちが楽になったというか。木村拓也さんに偶然声をかけて、その話をできていなかったらその後の学生時代もどうなっていたかわからないけど、再び学校に行けるようになりました。
木村拓也さんは子どもをただ相手にするのではなくて、ちゃんとその人に対して一番合うだろうなっていう言葉をかけてくれた。そんな大人がいたことにすごく感動したんです。この人たちを応援したいなって、以前にも増してカープの選手たちをすごく身近に感じるようになりました。
■カープ芸人としての目覚め
僕は漫才をやりたくて18歳で東京に出て、20歳くらいまではコンビを組んで解散してと繰り返していました。ピンで活動を始めたのは20歳くらいで、最初は1人で笑いをとるのはどういうシステムなのか、全然わからなかったです。
先輩から「好きなものを軸にしてネタを作ったら考えやすいんじゃない?」とアドバイスをもらい、「カープにすごく特化したピン芸人が出てきてもいいかもな」と思ったのが今に至るきっかけです。
カープに限らずマニアックなネタをやる人の一番下手なやり口をわかりやすく言うと、「△△選手という人を紹介します。この選手、実はブログでこんなこと書いたんですよ。絶対ダメでしょ」という、モノいじり。それで笑いをとれたとしても、面白いのは△△選手で、自分はただ紹介しているだけ。僕も最初はそういうネタも作っていたけど、どうにか離れようと考えました。
お笑いの劇場に来てくれるお客さんは若い女性や、ほとんどが野球に興味がない人たちです。そういう人たちにどういう言い回しなら伝わるかと考えて、僕が舞台で見えているたくさんのお客さんは全員カープファンという設定にしました。
■マニアックなカープネタが大ウケ
カープのユニフォームを着て舞台に出ていく時点で、お客さんからしたら少し異色ですよね。どこのチームかわからなくても、ユニフォームを着ているから野球のネタをやる芸人なんだろうなぐらいの感じだと思います。
「どうも〜!」って出ていって、「いや〜皆さん、びっくりしましたね! まさか、あの人がねー!」っていう導入から始めます。そうしたら、お客さんが勝手に心の中で「ん? 誰のことを言ってるんだろう?」と想像してくれる。
「ホント、皆さんもびっくりされたと思います。あの北別府さんがまさかね、大好きな家庭菜園で1キロの巨大なきゅうりをつくったんですよね」って言って、めちゃくちゃデカいきゅうりを持っている北別府さんの写真を出す。
「すごくないですか。天は二物を与えましたよ、北別府さんに。野球の才能と家庭菜園。羨ましいですね」
全国ニュースのヘッドラインかのように、みんなが知っているのが当たり前のような空気感でしゃべり続けます。すると、お笑いを見に来たお客さんが「誰だ?なんだよこのニュース、知らないわ!」って各自が心の中でツッコミ担当をしてくれて笑いが起きていました。
北別府学さんはカープ一筋で通算213勝を挙げたレジェンドなので、カープファンじゃなくても知っている人はもちろんたくさんいます。そういう人が、「北別府は今、家庭菜園にハマってんのかよ!」って心の中で突っ込んでくれる。そんな仕組みでずっとネタをやっていたら東京でも普通にドカドカ受けて、「ルミネtheよしもと」の舞台や「アメトーーク!」のカープ芸人にも声をかけてもらえるようになりました。
■ファームに集う"家族"たち
今は仕事をしながら、最低でも一軍は年間で30試合以上、二軍は15試合くらい球場に行っています。午前中からファームの由宇球場に行って取材をして、夕方から別の仕事に間に合うように急いで車で戻ることもあります。
山口県岩国市にある由宇球場はアクセスが良くないことで知られますが、それでも応援に来るのはコアなファンが多くて、本当に家族みたいな感じです。皆さん、スタンドから祈るように応援している人が多いですね。
最近野球に興味を持った人や、ありがたいことにカープを好きになった人、これからカープを好きになる人にオススメするのは"推し選手"を一人見つけること。顔が好き、出身地や誕生日が一緒とか、どんな入口でもいいです。"推し選手"が一人見つかれば、応援がすごく楽しくなります。
僕にとってその一人が木村拓也さんでした。特に応援するようになった頃は一軍で試合に出たり、ファームに来たりという時期でしたが、その後、アテネ五輪に出場するなど野球ファンの誰もが知るユーティリティプレイヤーになりました。巨人に移籍してからも愛される選手でしたね。
自分は野球をするのが好きだったけど、プロ野球選手になれなかったっていうファンはたくさんいるじゃないですか。"推し選手"が見つかれば、その人の人生のストーリーを間近で見させてもらえます。選手のストーリーを一緒に一喜一憂できるのは、ファームからプロ野球を見る醍醐味ですね。
インタビュー/構成=中島大輔 企画=This、スカパー!
【インタビュー後編はこちら】 ※後編は9月19日10時00分に公開予定
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