"Love & Peace"を唱え、日本のミュージックシーンに多大な影響を与えた忌野清志郎。5月2日で清志郎がこの世を去って11年が経過するが、彼の歌は今もなお多くの人たちに聴かれ、そこに込められたメッセージが心を揺さぶっている。
■「雨あがりの夜空に」「トランジスタ・ラジオ」などのヒット曲で不動の人気を獲得
1970年にRCサクセションとしてシングル「宝くじは買わない」をリリースし、プロのキャリアをスタート。奇抜なメイクと派手な衣装のイメージが強いが、デビュー当初はフォーク路線だった。1976年ぐらいからロックへとシフトチェンジし、1978年に仲井戸麗市(ギター)と新井田耕造(ドラム)を迎えたあたりから、清志郎もメイクをし始め、バンドの方向性が定まった。
1980年1月にリリースした「雨あがりの夜空に」をはじめ、「トランジスタ・ラジオ」などのヒット、そして数多くのライブによって人気も不動のものに。1982年には当時YMOのメンバーとして活躍していた坂本龍一と組んで「い・け・な・いルージュマジック」をリリースして大ヒットを記録。大量の紙幣を撒き散らしたり、2人がキスするシーンなど、MVも大きな話題となった。
1987年、バンド活動と並行してソロアルバム『RAZOR SHARP』をリリースするが、このあたりから大きく物事が変化し始めた。1988年、RCは反戦・反核、反原発などを歌うカバーアルバム『COVERS』を制作するが、所属レコード会社は発売を中止することを選んだ。結果的には別のレコード会社から発売することができたが、1989年には謎のバンド"THE TIMERS"としてより過激なメッセージを放ち、ザ・モンキーズのカバー「DAYDREAM BELIEVER」のヒットを生み出した。
■清志郎の思いが多くのミュージシャンに影響を与える
1991年にRCは活動休止を表明するが、清志郎はソロアーティストとして、そして細野晴臣と坂本冬美とのユニット"HIS"、"忌野清志郎&2・3'S"、"忌野清志郎 Little Screming Revue"、"ラフィータフィー"など、さまざまなユニットやバンドというスタイルで、より精力的に活動を行なった。
どんな形になっても、一貫していたのは"Love & Peace"に基づくメッセージを発信することだった。1999年、ミニアルバム『冬の十字架』に収録されたパンクアレンジの「君が代」が原因で再びレコード会社と衝突。発売中止となったその作品を自主レーベルから発売するという出来事もあったが、清志郎の意志の強さとメッセージは多くのミュージシャンにも影響を与え、2000年3月に日本武道館で行われたトリビュートライブ『RESPECT!』には泉谷しげる、矢野顕子、仲井戸麗市、井上陽水をはじめ、THE ALFEEの坂崎幸之助、奥田民生、斉藤和義、ゆず、俳優の竹中直人らが集い、デビュー30周年を大いに盛り上げた。
2000年代に入ると、音楽活動の他に、自転車の楽しさに目覚め、自転車チームを結成したり、東京から鹿児島まで1400キロを走破するなど、のめり込んだら徹底的に究めるという清志郎らしさを発揮。落車による骨折や愛車の盗難などもあったが、自転車熱は覚めることはなかった。
2006年、咽頭癌が発見され、療養期間に入るが年末に復活。2007年もさまざまなイベントに出演し、2008年1月には日本武道館で1年7か月ぶりのワンマンライブを開催して完全復活をアピールしたが、夏に癌の転移が見られ再び療養生活へ。年末にライブ復帰し、「RUN寛平RUN」「走れ何処までも」を制作するが、2009年5月2日、逝去。しかし、亡くなった後も、彼をリスペクトするミュージシャンたちが何度も集い、イベントライブを行なって、彼のメッセージを伝え続けてきた。
5月2日(土)、11回目の命日にスペースシャワーTVで「忌野清志郎 MUSIC VIDEO SPECIAL」の放送が決定。新型コロナウィルスの影響でライブやイベントなどが自粛している今だからこそ、KING OF ROCKと呼ばれる忌野清志郎の楽曲、映像、ポジティブなメッセージが勇気づけてくれるはずだ。
文=田中隆信
放送情報
忌野清志郎 MUSIC VIDEO SPECIAL
放送日時:2020年5月2日(土)18:00~ほか
チャンネル:スペースシャワーTV
※放送スケジュールは変更になる場合があります
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