幼少の頃から中日ファンで、著書に『ドアラドリル』シリーズがあり、『月刊ドラゴンズ』で連載を持つ作家のカルロス矢吹。英語とスペイン語を駆使しながら世界各地のポップカルチャーを伝え、近著『日本バッティングセンター考』や『世界のスノードーム図鑑』のように一つの事象をディープに掘り下げるのも得意。そんなカルロスならでの中日とファームの楽しみ方とは――。
■"巨人王国"で中日ファンになった特殊事情
僕は1985年生まれで宮崎県出身ですが、祖父が名古屋の会社に勤務、父は名古屋生まれ名古屋育ちで、祖父から3代で中日ファンです。
幼少をすごした頃の宮崎はまさに"巨人王国"でした。テレビで中継しているのは巨人戦だけで、周囲はジャイアンツファンかイチローファンばかり。通っていた小学校にはヤクルトファンが少しいたくらいでしたね。その中でなぜか広島ファンが1人だけいて、そいつとは仲良くなりました(笑)
そんな環境でなぜ中日ファンになったかと言うと、父親がどうしても中日の試合が気になり、喫茶店など法人向けの有線放送を家庭で契約したんです。当時はスカパー!がまだなく、有線放送で名古屋のラジオ局の中継を聴いていました。
勝敗をつけるカレンダーが売っていて、それに勝敗と投手の勝ち負けをつけるのが僕の担当でした。仕事で忙しい父はカレンダーの勝敗を見て、勝った日はテレビでハイライトを見る。負けていたら見ない。
そんな家庭で僕は育ち、気づいたら中日ファンになっていました。父親から"英才教育"を受けたというか、新興宗教の2世、3世のように育てられたというか。宮崎県で生まれ育ったけど、中日ファンになる以外の選択肢がなかったんです(笑)
■名古屋で感じた喜びと戸惑い
中学生になり、父の仕事の都合で愛知県に引っ越しました。ちょうど1998年のことで、ベイスターズが日本一になった年です。中日はリーグ2位で、翌年は優勝しました。いいタイミングで引っ越すことができましたね。
アウェーの宮崎県からお膝元の名古屋に移り住むと、地上波で全試合中継されていました。それが本当にうれしくて、毎日ナイターを見ていましたね。週末になるとテレビでドラゴンズの特集番組があり、それを欠かさずに見るのが喜びでした。中学生だから自由になるお金はなかったけれど、親にねだって月1回くらいナゴヤドーム(現バンテリンドーム)に連れていってもらうことを楽しみにしていましたね。
そうした環境は本当にうれしかったのですが、同時に戸惑いもあったんです。名古屋ではみんなが中日好きかと思っていたら、意外とそうでもなくて。
周りを見ると、どこの家も中日新聞を取り、テレビをつけたらドラゴンズ戦が地上波で放送されています。そういう"当たり前"の存在すぎて、わざわざ熱を入れて応援するのがちょっとダサイ...という感じなんです。大阪の人がわざわざ「吉本新喜劇、大好き」って言わないのと同じようなことでしょうか。
でも、学校に行って中日の話をすると女子も選手の名前を知っているし、勝敗も把握している。それなのに「好き」とは言わないんです。
広島のファンは「カープが好き」とちゃんと口にするじゃないですか。名古屋の人がそんな感じなのは、独特の風土かもしれませんね。
■世界を旅する"原点"=ナゴヤ球場
名古屋に住み始めてから一軍のナゴヤドームはもちろん、二軍を見るためにナゴヤ球場にも行くようになりました。選手名鑑を見ていたら、気になる選手がいたことがきっかけです。
今でもよく覚えているのが、白坂勝史というピッチャー。1997年ドラフト7位で関東学院大学から入り、入団発表時に「最多勝を狙いたい」と豪語していたんです。「ビッグマウスと言われるかもしれませんが...」って。
ドラフト7位の選手が一度でも最多勝を獲れば、大成功じゃないですか。でも白坂は全然一軍で投げていなくて、「何者なんだろう?」ってナゴヤ球場に見に行ったんです。
それが二軍に興味を持つようになった始まりでした。名古屋に住んでいても、ナゴヤドームとテレビだけではわからない選手がいることを知りましたね。「これは見に行かなければいけない!」と思い、ナゴヤ球場に行くようになりました。実際にその場に行かないと見られない人を見られることこそ、二軍の魅力です。
そんな日々を送った僕は高校卒業後に東京の大学に進学し、在学中から物を書く仕事を始めました。今は「タイにバッティングセンターがある」と聞きつけたら現地まで取材に行ったり、北朝鮮のポップミュージックに興味を持って深掘りしたりしていますが、その原点は白坂を気になってナゴヤ球場に行くようになったことにあるのかもしれないですね。
■今もあるナゴヤ球場の「名物」
中日ドラゴンズには、このチームならではのファームの楽しみがあります。もともと一軍が使っていた球場をファームの本拠地にしているのは、ナゴヤ球場だけなんです。巨人の「ジャイアンツ球場」はチーム名がついていますが、一軍にとっては練習場という位置づけです。
中日が1996年まで一軍の本拠地にしていたナゴヤ球場には、「球場神社」という名物がライトスタンドにありました。それが今でも残されているんですよ。
現在のナゴヤ球場は、監督やGMを務めていた落合博満さんの発案で外野スタンドを取り壊してナゴヤドームと同じ広さに改修されました。そのときにライトスタンドも解体されましたが、球場神社はバックネット裏に移転されたんです。
ファウルボールが当たらないようにケージに入った形で展示されていて、直接お参りをすることはできません。でも、ちゃんとその存在を視認できるんです。もちろん、ケージ越しに参拝することもできます。
中日ファンからすれば、初詣は熱田神社ではなくナゴヤ球場なんです(笑)。こういうことができるのは、12球団で中日のファームくらいだと思いますね。
インタビュー/構成=中島大輔 企画=This
【インタビュー後編はこちら】 ※後編は5月27日12時に公開予定
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