映画『ドライブ・マイ・カー』の濱口竜介監督作品が誘う、心揺さぶる稀有な映像体験

妻を失った男と寡黙なドライバーの旅の行方は…(『ドライブ・マイ・カー』)
妻を失った男と寡黙なドライバーの旅の行方は…(『ドライブ・マイ・カー』)

■濱口監督ならではの独創性が詰まった、固有の「作品力」

2022年も早半ばだが、今年上半期における映画界最大のニュースはこれに尽きるだろう。『ドライブ・マイ・カー』(2021年)の米アカデミー賞®国際長編映画賞受賞である。日本映画がこの賞に輝いたのは『おくりびと』(2008年)以来13年ぶり。しかも『ドライブ・マイ・カー』は作品賞、監督賞、脚色賞という主要3部門へのノミネートも果たし、前年のカンヌ国際映画祭では脚本賞を受賞している。

村上春樹の同名短編をベースにした『ドライブ・マイ・カー』の主人公は、ある日突然、妻の音(霧島れいか)に先立たれた舞台演出家・家福悠介(西島秀俊)。その2年後、演劇祭で「ワーニャ伯父さん」を上演するため広島を訪れた家福が、専属ドライバーとしてあてがわれた若い女性・みさき(三浦透子)と出会い、因縁ある若手俳優・高槻(岡田将生)との確執を経て、人生の新たな一歩を踏み出すまでを描き出す。

テーマはずばり喪失と再生だ。本作が世界中で高い評価を受けた理由の一つとして、コロナ禍の世相との共鳴が指摘されている。愛する者を亡くした主人公の癒やしがたい心の痛みを見つめながら、その先の希望のありかを模索したストーリーに、多くの観客が自分自身を重ね合わせて共感したのではないかという見立てだ。確かにそうかもしれない。しかし、同様の主題を扱った作品はほかにいくつもある。本作固有の「作品力」と、それを手掛けた濱口竜介監督の類い稀な才能に改めて注目せずにいられない。

劇中の重要なアイテムは、家福の愛車である真っ赤なサーブだ。その車内で家福がすでにこの世にいない妻が朗読するセリフを繰り返し聞き、みさきや高槻と対話するシーンを通して、登場人物それぞれの苦悩と孤独、会話によって変容する彼らの関係性が浮き彫りにされる。車という外界と隔てられた密室空間を舞台に、家福の移ろいゆく心の旅が映像化されている。

また本作は、物理的な移動の旅を描くロードムービーでもある。みさきが運転するサーブが、柔らかな光がきらめく瀬戸内の風景を走りゆくシーンの得も言われぬ美しさ。さらに終盤、みさきの実家がある北海道を目指すサーブが、いくつものトンネル、曲がりくねった道を疾走するシークエンスは、暗い過去に囚われた家福やみさきの内なる複雑な葛藤がスクリーンに表出したかのようだ。

アントン・チェーホフ作「ワーニャ伯父さん」のオーディションやリハーサルの模様が、たっぷり時間を割いて描かれている点も興味深い。俳優たちにあえて感情をこめることを禁じ、何度もセリフを棒読みさせて身体に染み渡らせるという家福の演出スタイルは、濱口監督自身の手法にも通じるものがあるはずだ。また本作における「ワーニャ伯父さん」は、多国籍キャストによる多言語演劇でもある。その実験的な試みが、映画界にとどまらない国際社会の今の潮流である多様性を体現していることも見逃せない。

上記の要素以外にも濱口監督ならではの独創性がいくつも詰まった本作は、人生の道標を見失っていた登場人物の再生を見届け、すべての観る者に開かれたまっさらなラストショットを提示する。2時間59分、心揺さぶる希有な映画体験がここにある。

■商業映画デビュー作『寝ても覚めても』、監督の野心と欲望がほとばしる『ハッピーアワー』

濱口監督は『ドライブ・マイ・カー』で一躍「時の人」として脚光を浴びたが、東京藝術大学大学院・修士課程の修了作品として初長編『PASSION』を作ったのは2008年のこと。その後は知る人ぞ知るインディーズの映画作家として、数多くの劇映画、ドキュメンタリーを発表してきた。

柴崎友香の同名恋愛小説を映画化した『寝ても覚めても』(2018年)は、濱口監督の商業映画デビュー作だ。大阪から東京に移り住み、カフェで働いている朝子(唐田えりか)が、店の近くの会社に勤める青年、亮平(東出昌大)を目の当たりにしてショックを受ける。亮平は2年前に朝子の前から忽然と消えた元恋人の麦(東出/1人2役)と瓜二つだったのだ。やがて朝子は亮平との共同生活を送るようになるが、人気モデルとして活躍する麦と再会し...。

同じ顔をした2人の男と、その間で揺れる1人の女の8年間を見つめる(『寝ても覚めても』)
同じ顔をした2人の男と、その間で揺れる1人の女の8年間を見つめる(『寝ても覚めても』)

(C)2018 映画「寝ても覚めても」製作委員会/ COMME DES CINEMAS

性格は対照的だが、一卵性双生児のようにそっくりな2人の男性の狭間で激しく揺らめく女性の数奇な軌跡。まったくもって現実にはありえないファンタジックなラブストーリーなのだが、そんな荒唐無稽なフィクションがあれよあれよという間に奇妙な現実味を獲得し、生々しい感情をみなぎらせていく描写力に濱口監督の真骨頂がある。朝子と麦が大阪のギャラリーで遭遇し、その直後、路上で一瞬にして恋に落ちるプロローグから目が離せない。これが濱口監督にとって、カンヌ国際映画祭コンペティション部門への初めての出品作となった。

より大胆不敵にして先鋭的な濱口監督の作風に触れたい人には、今回の特集でWOWOW初放映となる『ハッピーアワー』(2015年)をお勧めしたい。3章構成、本編317分というフォーマットからして破格の本作は、神戸の即興演技ワークショップで製作された生粋のインディペンデント映画。キャストはワークショップに通っていたノンプロ俳優たちが務めたが、ロカルノ国際映画祭で最優秀女優賞を受賞するなど、国内外で絶賛を博した。

どこにでもいる「普通」の女性たちが持つ不安や悩みが浮き彫りにされていく(『ハッピーアワー』)
どこにでもいる「普通」の女性たちが持つ不安や悩みが浮き彫りにされていく(『ハッピーアワー』)

(C)2015 神戸ワークショップシネマプロジェクト

主人公は親友同士の4人のアラフォー女性。そのうちの1人の秘密が明らかになったことで、気さくに何でも語り合ってきた4人の親密な関係性が揺らぎ出すという物語だ。

登場人物たちが膨大な量のセリフの応酬を繰り広げる会話シーンはただならぬ緊迫感に満ち、時に観る者を不安に陥れ、戦慄を呼び起こす瞬間もある。長回しショットの多用、フィクションとドキュメンタリーの境界を曖昧にさせた演出にも驚かされる。とはいえ、ごく普通の女性たちの友情、孤独をテーマにした本作は、決して難解で退屈な「芸術映画」ではない。むしろ低予算ながら商業映画の制約が一切ない環境で、映画表現の「面白さ」や「可能性」を探求しようとした濱口監督の野心、欲望が全編にほとばしる異形の一作となった。

『ドライブ・マイ・カー』の画期的な成功に加え、オムニバス映画『偶然と想像』(2021年)でベルリン国際映画祭銀熊賞(審査員大賞)を受賞した濱口監督は、今や是枝裕和、黒沢清とともに最も国際的に注目される日本人監督に。そのスリリングにして豊かな映像世界に、ぜひとも身を委ねてほしい。

文=高橋諭治

高橋諭治●映画ライター。純真な少年時代にホラーやスリラーなどを見すぎて、人生を踏み外す。「毎日新聞」「映画.com」「ぴあ+〈Plus〉」などや、劇場パンフレットで執筆。日本大学芸術学部映画学科で非常勤講師も務める。人生の一本は『サスペリア』。世界中の謎めいた映画や不気味な映画と日々格闘している。

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放送情報

寝ても覚めても
放送日時:2022年7月23日(土)17:40~

ドライブ・マイ・カー
放送日時:2022年7月23日(土)20:00~、31日(日)17:45~

ハッピーアワー
放送日時:2022年7月23日(土)23:15~
チャンネル:WOWOWシネマ

ドライブ・マイ・カー
放送日時:2022年7月23日(土)13:00~、27日(水)16:45~
チャンネル:WOWOWプライム

※放送スケジュールは変更になる場合があります

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