宮沢りえが複雑な心情が幾重にも織り重なった演技を見せる映画「父と暮せば」
俳優

(C)2004「父と暮せば」パートナーズ
戯曲が原作ということで、ほとんど美津江と竹造による会話劇で構成されているのだが、「さすが日本のエンタメ史に名を刻む両雄」とうなってしまうほど、宮沢と原田の掛け合いがすばらしい。一人遺した娘の幸せを切に願って、押したり引いたり、あの手この手で背中を押す愛があふれる父親と、それに気付きながらも生き残った負い目から自らの気持ちにうそをついてまでも幸せから遠ざかろうとする娘という、互いに多くのものを抱えながらもそれをストレートに出さないという微妙な関係性を1対1の会話だけで、しかも深層心理までも表現していくというハードワークを完遂している。加えて、それらを全て広島弁でやってのけるというおまけつきだ。
中でも、竹造が幽霊であることが明かされるまでの、2人が醸成するノイズのような違和感が漂う雰囲気づくりが筆舌に尽くしがたい。普通に会話しているし、目線がずれているわけでもない。ただ、どこか引っかかる微細な違和感。それは"竹造が幽霊である"という不思議な事実からくるもので、観る者にとっては事実が明かされるタイミングで腑に落ちるわけだが、その微妙なノイズを普通の会話を交わしながら醸し出しているのだ。どうやって出しているのか分析する術がないのだが、ある種の違和感は何度見ても感じるのだから不思議だ。この"言葉では言い表せない表現"こそが「演技の真髄」なのではないだろうか。
さらに、宮沢は物語が進むにつれて次第に強まっていく木下への思いも描いている。木下とのシーンもところどころに挟まれてはいるのだが、基本的には竹造との会話劇であるため、竹造との会話において口では否定しながらも恋慕の情を強めていっているのだ。一つの演技に織り込まれたさまざまな思いをひも解いていくと、これほどまでに複雑に絡み合った感情をよくここまで細やかに表現できるものだと、あぜんとしてしまう。
太平洋戦争を題材にした作品は数あれど、終戦直後の広島を舞台に、原爆がもたらした数年たっても消えない悲惨さ、生き残った者に刻まれた消えることのないトラウマなどを描いて、多くの作品とは違った角度で戦争の恐ろしさを描いた同作。戦後80年という大きな節目に観るのにふさわしい作品の1つといえるだろう。そんな作品に込められたメッセージに思いを馳せながら、宮沢と原田が演技で作り上げたもの、複雑な心情が幾重にも織り重なった宮沢の芝居にも注目してほしい。
文=原田健
放送情報【スカパー!】
父と暮せば
放送日時:2025年8月16日(土)21:45~
放送チャンネル:衛星劇場
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