サッカー選手にとってタイトル争いの経験は、選手自身のステージを一つ上に上げてくれる。ましてや自らの活躍でチームを優勝に導いたとき、その経験は何物にも代えがたい。そもそもサッカーとは勝敗を争うスポーツである。相手よりも多くのゴールを奪ったチームが勝利を手にし、そのためにピッチ上の22人が一つのボールを追いかけるのだ。
もちろん、勝利も敗北もたまたまもたらされるものもある。偶然の産物としか言えないゴールで勝敗が決するときがあるからだ。そして、サッカークラブに携わる人々は幸運に恵まれることに期待するのではなく、少しでも勝つ確率を高めるための努力を惜しまない。ただ、そのなかでごく一握りの人間しか達することが出来ない境地がある。それが優勝だ。タイトルを獲得することでしか知ることが出来ない勝利の味。チームを勝たせるためにどうすればいいのかは、チームを勝たせた人間にしかわからない。
■大迫勇也にとって、初めて自らの力で獲得したタイトル
大迫勇也にとって初めてのタイトルはルヴァンカップではなかった。2009年に鹿島アントラーズに加入したとき、チームはまさに黄金時代。J1リーグ2連覇中の王者に"超高校級"の逸材として加わったのが大迫だった。当時のFWはマルキーニョスと興梠慎三が在籍しており、指揮官であるオズワルド・オリヴェイラは彼らに2トップを任せることが多かった。さらに田代有三もおり、大迫はよくて3番手。ポジションを奪うのはそう簡単ではないと思われた。
しかし、3年目の11年に転機が訪れる。若返りを図りたいクラブは35歳となっていたマルキーニョスと契約を更新せず(ベガルタ仙台に移籍)、代わりにポルトガルでプレーしていたカルロンをエース候補として獲得した。ところがこれがまったくの不発。シーズン途中で移籍し、大迫は興梠と共にチームを引っ張る存在となった。
とはいえ、若い日本人2トップで戦えるほどJリーグは甘くない。J1リーグは苦戦の連続となり、34試合のシーズンは13勝11分10敗の6位に沈む結果となった。ただ、この年は東日本大震災の影響を大きく受けたこともあり、Jリーグヤマザキナビスコカップ(当時)は大幅に日程が短縮され、決勝トーナメントはすべて一発勝負で勝敗が決するレギュレーションが採用。AFCチャンピオンズリーグに参加していた鹿島は準々決勝からの出場に。長丁場のリーグ戦とは違い、1ヶ月のなかで終わる短期決戦だったことが幸いする。
この大会で大迫は大爆発する。準々決勝の横浜F・マリノス戦、準決勝の名古屋グランパス戦と2試合連続でゴールを奪うと、決勝の浦和レッズ戦では決勝点。3試合連続でゴールを決め、文句なしの大会MVPに輝いた。
09年はリーグ、10年は天皇杯とプロになってすでに2度の優勝を味わっていた大迫だが、自らの活躍でチームを優勝に導いたのは初めての経験。試合後は、「(去年の)天皇杯も自分の中では嬉しかったですけど、試合に出て優勝するというのはほんと嬉しいですね」と笑顔をこぼした。ちなみに表彰台でカップを掲げたのも大迫だった
■20歳で鹿島をタイトルに導いた柴崎岳
加入1年目だった柴崎岳もこの大会で活躍している。準決勝の名古屋戦では、本山雅志からのスルーパスを受け、楢崎正剛の頭上を打ち抜く決勝点を奪っている。しかし、その輝きは一瞬のきらめき。大会を通じて輝いたのは、次の2012年大会。鹿島をタイトルに導いたのは若干20歳の俊才だった。
大会を牽引したのはエースFWに成長した大迫だったかもしれない。彼はグループステージで4得点、決勝トーナメントに入っても3得点と大車輪の活躍を見せた。対する柴崎は大会を通じて3得点とゴール数では大迫の後塵を拝する。しかし、試合で見せる落ち着きはいまと変わらず、ベテランの貫禄を漂わせるほど。
ただ、この年も鹿島の成績は安定せず、それを穴埋めするために、柴崎はさまざまなポジションでプレーしなければならなかった。清水エスパルスと戦った決勝戦でも、ボランチではなく右サイドハーフでの先発。それでも、ウイングとサイドバックの攻撃をケアする役目を担うと、ほぼそれを完璧に遂行した。試合を落ち着かせることに大きく貢献すると、70分からはボランチでプレー。ゲームの舵取りをするだけでなく、3列目からの飛び出しでPKを誘い、これを自ら決めると、アディショナルタイムにも同じような場面をつくって今度はそのままゴールへ叩き込んだ。
「若い選手が出て勝ったことで、次も勝ちたいという欲が出る。それが勝者のメンタリティになっていく」
今はフットボールダイレクターという立場でクラブの強化責任者を務める鈴木満強化部長(当時)は、そう言って目を細めた。勝つことで勝者のメンタリティや勝ち方が受け継がれていくからだ。
クラブの歴史という大きな流れで見ればそうだろう。しかし、その一部分を彩る選手個人としての思いは少し違ったようだ。柴崎の言葉は2年目の選手とは思えないほど芯の強さがあった。
「"受け継ぐ"という表現はあまり好ましくないかもしれないですけど、このままアントラーズを受け継いでいくだけでは足りないと思いますし、それ以上のものを出していかないといけないと思います。先輩を超えたい。全員がそういう意識をもってやらないと、僕らは成長していかないと思う」
11年大会も、12年大会も試合を通じて鹿島が支配したとは言い難い。しかし、うまく相手の長所を消し、自分たちの時間帯が来るまで我慢して戦い続け頂点に立った。そのことを問われたときの柴崎の言葉が振るっていた。
「劣勢というか良くない試合が続いていて、でも勝ってしまうという鹿島のよさがこの試合では出ていたと思います。すごいな、と他人事のように思います」
いまでは鹿島を飛び出し、日本代表の中心として海外の強豪相手にそうした駆け引きを見せる大迫と柴崎。彼らの飛躍に、この大会の優勝経験は大きな影響を及ぼした。
文=田中滋
放送情報
ルヴァンカップ【2020シーズン】
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