デヴィッド・ボウイとして最後まで貫き通した人生とは

デヴィッド・ボウイ
デヴィッド・ボウイ

2016年1月10日にこの世を去ったデヴィッド・ボウイ。国内外のミュージシャンのみならず俳優や映画監督、デザイナー、画家、小説家など職種を超えてこれほど多くのクリエイターに影響を与えたソロシンガーはなかなかいない。

しかもボウイがすごいところは敷居が高い存在ではなく、変幻自在で先鋭的でありながらポップなアーティストとして多くの人たちに愛され、リスペクトされたことだ。ちなみにオンエア中の「ロト6」のCMでは稲垣吾郎、草彅剛、香取慎吾が1970年代を彷彿とさせる派手な衣装のバンドでライブパフォーマンスを披露しているが、稲垣は撮影について「グラムロックがテーマなのでデヴィッド・ボウイの初期の頃をイメージした」とのこと。いまなお斬新な存在であり続けるボウイの特異性とは?

■時代の先で挑戦するイノべーター

デヴィッド・ボウイは「うまくいくとすれば、それは時代遅れだ」、「ロックは生きているアートで、常に再構築と変化を探っているんだ」という名言を残している。

グラム時代は真っ赤な髪に奇抜なメイクと大胆なファッションで世間の度肝を抜き、架空のロックスター「ジギー・スターダスト」を主軸としたコンセプチュアルなアルバムを制作。師匠である舞踏家・リンゼイ・ケンプから伝授されたパントマイムを活かした演劇的なステージングもほかのグラムロックバンドとは一線を画し、本国イギリスはもとより日本でも熱狂的な支持を得た。

にも関わらず、その成功をあっさり捨ててボウイはグラム時代に終止符を打ち、ソウルミュージックに傾倒。アルバム『ヤング・アメリカン』(1975年)ではスタイリッシュなスーツ姿で想定外の変貌を遂げる。同作収録のジョン・レノンとのコラボ作「フェイム」は初の全米1位を獲得し、ボウイはL.A.に移住。カルトSF映画の名作『地球に落ちてきた男』に主演するなど、アメリカでもブレイク。それでもボウイは安定、定住を良しとせず、盟友、イギー・ポップとベルリンに居を移し、ブライアン・イーノとコラボレートし、エレクトロで実験的要素の強い『ロウ』などのベルリン3部作を作りあげる。アーティスティックな世界を追求していくのかと思いきや、MTV時代の1980年代に入るとボウイはヒットメーカーのプロデューサー・ナイル・ロジャースと組み、ソウル、R&Bを取り入れたアルバム『レッツ・ダンス』(1983年)が世界的大ヒットに。

名実ともにスーパースターとなるが、またもやボウイは方向転換。ソロ活動をストップし、自身のバンド、ティン・マシーンを結成。その後も先鋭的であり続けてきた。ロックというジャンルだけでは括れない歌唱力、時代の先を行く発想力、プロデュース力。変化することを恐れないボウイの生き方は発明家のようでもあり、多くの人たちにインスピレーションを与えた。

■意外と知られていないボウイの裏の顔

端正でクールな顔立ちと知的なムードから隙のないイメージがあるボウイは、友人想いでもあった。無名時代からの仲間・T.Rexのマーク・ボランが29才で交通事故で急死したときには残された妻と息子のためにひっそりと父親がわりになって学費を払い続け、薬物依存になっていたイギー・ポップを助けるために共作した曲「チャイナ・ガール」を自身の大ヒットアルバム『レッツ・ダンス』でカバーしたりと無償の愛の人。

京都好きで知られるボウイがお気に入りの喫茶店で、相手がデヴィッド・ボウイだと知らない女子高生に英語を教えていたというエピソードも伝えられている。

そんなボウイは自らの最期をほのめかすようなメッセージを楽曲の中に昇華したアルバム『★(ブラックスター)』を誕生日にリリースし、その2日後に逝去。散りぎわまで美しかった。最後まで「デヴィッド・ボウイ」を貫き通した人生。
ドキュメンタリー『デヴィッド・ボウイ 最初の5年間』、『デヴィッド・ボウイ 最後の5年間』で彼の音楽と生き方に触れてみてほしい。

文=山本弘子

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放送情報

デヴィッド・ボウイ 最初の5年間
放送日程:2019年11月9日(土)16:30~
デヴィッド・ボウイ 最後の5年間
放送日程:2019年11月9日(土)18:10~
チャンネル:スターチャンネル1
※「第2弾エリック・クラプトンといとしのUKロックスター」特集6作品も放送!
※放送スケジュールは変更になる場合がございます。

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