■違う人生は選べないけれど、今までとは違う一歩を踏み出すことはできる
今年も世界一の映画の祭典、米アカデミー賞の時期が近づいてきた。日本時間3月11日に開催されるそれに選ばれることは映画最高峰の栄誉。映画というものが、現実世界を反映させたうえで、その一歩先、こんな世界になるべきなんだ!という製作者たちの思いを観客に届けるものであるとしたら、アカデミー賞とは、そんなクリエイターたちの訴えをすくい上げ、肯定し、目指すべき世界をあきらめないと万人に宣言する場所のように感じている。つまり、素晴らしい作品や演技に賞が与えられるのはもちろんながら、そこにはこの流れそのものを推したい、というなんらかの意図が働くものだし、働くべきだと思っている。今年のノミネート作品もどれも素晴らしいものばかりだけれど、その前に、ここで改めて去年の作品を振り返ってみよう。
作品賞に監督賞、主演女優賞に助演男優賞、助演女優賞......なんと7部門を受賞したのが「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」(2022年)。第95回アカデミー賞はまさに「エブエブ旋風」が吹き荒れたと言っても過言ではない。
経営するコインランドリーは破産寸前。優しいけどなんだか頼りない夫、保守的で頭の固い父親や反抗期の娘に囲まれ、日々の生活に追われる平凡な主婦のエヴリン(ミシェル・ヨー)は何かと上手くいかない人生にへとへとだったのにもかかわらず、ある日、目の前に「別の宇宙から来た」という夫の姿そっくりの別の夫が現れる。彼いわく、「全宇宙にカオスをもたらす巨大な悪を倒せるのは君だけだ」とのこと。訳もわからないままに全宇宙を救う使命を託されたエヴリンは、マルチバースの自分にジャンプし、その能力にアクセスすることで襲い来る敵に立ち向かうことになる。
あらすじを説明してもまるで要領を得ないが、そういうことなのだ。もうこの映画を4回ほど観たが、いまだに上手に説明できない。この脚本を書いた人の頭の中を覗きたい。そして制作会議は皆正気だったのかを知りたい(なにせ主演のヨーが「こんなおかしな脚本を書いた2人に会ってみようと思った」というほど)。歌手にしてカンフーマスターで大女優なヨーが見られるなんて眼福すぎる!落ち着きのないくたびれた中年女性から最強のシェフ(?)まで、そのすべてにおいて体幹も表情も口調も変えていて、まるでキャリアの総決算を見ているよう。主演女優賞獲得も納得だ。
とにかくストーリーもアクションも、衣装も映像もすべてがキレッキレでユニークで、画面狭しとクィアな魅力が満載な本作。インターネット全盛の可能性に開かれすぎた時代を生きる現代人に刺さりまくるストーリーは、カオスで無茶苦茶で、それでいて愛に溢れていて、何度観ても胸がいっぱいになる。あの時ああしていれば、あの選択肢をとっていればと人生のIFを考え出したらきりがない。並行世界の自分を眺めるように、無限の可能性の中で何にでもなれたはずなのにたどり着いてしまった平凡な今の自分のことを、時に価値がないように感じてしまうこともある。それでも、そんな情けなくさりげない今の人生を肯定するエヴリンの言葉に、なんてことない今の自分がそれでもかけがえのないもののように思え、優しく抱きしめてあげたくなった。そして、違う人生を今さら選べはしないけれど、今までとは違う一歩を踏み出すことはできるのだ、と。
放送情報【スカパー!】
エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス
放送日時:2024年3月9日(土)20:00~、17日(日)18:30~
ザ・ホエール
放送日時:2024年3月10日(日)21:00~、21日(木)16:30~
チャンネル:WOWOWシネマ
エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス
放送日時:2024年3月10日(日)14:00~、12日(火)19:15~
ザ・ホエール
放送日時:2024年3月13日(水)18:00~
チャンネル:WOWOWプライム
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