宇垣美里のときめくシネマ>第95回アカデミー賞受賞作「エブエブ」「ザ・ホエール」が 発したメッセージに未来を想う

国税庁の役員に扮したジェイミー・リー・カーティスは助演女優賞を受賞(「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」)
国税庁の役員に扮したジェイミー・リー・カーティスは助演女優賞を受賞(「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」)

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この作品の愛の部分を担っているのは、有害な男性性とはまるで無縁な、ソフトで可憐なキー・ホイ・クァンの佇まいだろう。異次元の夫・ウェイモンドになった瞬間、服もメイクも同じなのに一気にセクシーな魅力に溢れるあの切り替わりっぷりもさることながら、大切なテーマの一つである「BE KIND」を体現している。まさに作品のヒロイン。助演男優賞が獲れて本当によかった。ほかにも七変化かつ圧倒的な存在感、助演女優賞も獲得したジェイミー・リー・カーティスに、表情から滲む人生の絶望や身に迫るような孤独感が鮮烈だったステファニー・スーなどすべての役者陣が魅力的。

ちなみに、確定申告のつらさが刺さる作品でもあるので、フリーランスの皆さまは心を強くもってご鑑賞いただきたい。

■揺れる瞳を見ているだけで涙が溢れそうになる

死期を悟った男が、疎遠だった娘と向き合うことを決意する「ザ・ホエール」
死期を悟った男が、疎遠だった娘と向き合うことを決意する「ザ・ホエール」

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物語でも、その登場人物でもなく、その演技そのものに胸を締めつけられ涙が止まらなくなることがある。ほかの誰でもない、その俳優の力によって私は魅せられ目が離せなくなってしまう、そんなことが。「ザ・ホエール」(2022年)で主演男優賞に輝いたブレンダン・フレイザーの見せた演技はまさに、いろいろあった彼だからこその魂の演技とも言えるような、そんな真に迫ったものだった。

17歳の娘エリーは、学校と家庭の悩みに揉まれ荒んでしまっていた(「ザ・ホエール」)
17歳の娘エリーは、学校と家庭の悩みに揉まれ荒んでしまっていた(「ザ・ホエール」)

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大学のオンライン文章講座で生計を立てている40代の教師・チャーリー(フレイザー)はボーイフレンドを失った絶望から引きこもって過食を繰り返し、重度の肥満症になってしまい、歩行器なしでは移動もままならない。病状の悪化から死期を悟った彼は、離婚して以来疎遠になっていた17歳の娘との絆を取り戻そうともがき始める。

272キロの巨体になるための特殊メイクには4時間、5人がかりで着脱する必要のある45キロのファットスーツを着用し、そのメイクはアカデミー賞のメイクアップ&ヘアスタイリング賞にも輝いている。喪失感から自らを傷つけるかのように手あたり次第に何かを口に運び続ける様子はあまりに痛々しく、まさに自傷行為。重りのようなその脂肪こそが彼の人生の業と後悔の集積のようで、その脂肪の鎖に動きが抑制されているからこそ、一挙手一投足に切実さが込められていて、何度も息を呑んだ。

なによりもあの目。痛みが浮かびながらも澄んだ瞳はどこまでも無垢で、なぜかその揺れる瞳を見ているだけで涙が溢れそうになってしかたがなかった。

チャーリーのもとをたびたび訪れるようになる、宣教師のトーマス(タイ・シンプキンス)(「ザ・ホエール」)
チャーリーのもとをたびたび訪れるようになる、宣教師のトーマス(タイ・シンプキンス)(「ザ・ホエール」)

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戯曲を原作とした、アパートの一室で展開する室内劇である本作。場所の変化はほとんどないが、チャーリーのもとを訪れる人々との会話の中で少しずつそれぞれの気持ちが吐露され変化していく様子が、光の移りゆく様子で表現されている。人生の喜びも悲しみも、人間の愚かさも尊さも、すべてをさらけ出すような痛切な作品ながら、ブレンダン・フレイザーの穏やかな語り口で述べられる執念を感じさせるほどの前向きさ、それでも希望を信じる姿勢には凄みを覚えた。そこには救いがあった。

これらの作品がアカデミー賞で選ばれた理由はなんだろう?作品が、演技が素晴らしかったのはもちろんながら、「エブエブ」が選ばれたのはきっと、今までないことにされてきた、偏見のもとにあったアジア人、移民、中年女性や冴えない男性やレズビアンという存在をもう軽んじたりはしないし、してはいけないという思いがそこにあっただろう。

ブレンダン・フレイザーが選ばれたことに、そして助演男優賞にキー・ホイ・クァンが選ばれたことに、私は、人はまたやり直せるのだと、折れなければ信じ続ければきっとまた救われる瞬間が訪れるのだと、そんなメッセージを感じた。

今年の第96回アカデミー賞ではどんなメッセージが発せられるんだろうか。哲学や宗教がちっぽけに感じてしまうような虐殺が続き、それを止められない、やるせない世界に生きているけれど、それでも未来を想えるような作品が生まれ続け、選ばれることを私はまだ信じている。

文=宇垣美里

宇垣美里●1991年生まれ 兵庫県出身。2019年3月にTBSを退社、4月よりオスカープロモーションに所属。現在はフリーアナウンサー・俳優として、ドラマ、ラジオ、雑誌、CMのほか、執筆活動も行うなど幅広く活躍中。

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放送情報【スカパー!】

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス
放送日時:2024年3月9日(土)20:00~、17日(日)18:30~

ザ・ホエール
放送日時:2024年3月10日(日)21:00~、21日(木)16:30~
チャンネル:WOWOWシネマ

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス
放送日時:2024年3月10日(日)14:00~、12日(火)19:15~

ザ・ホエール
放送日時:2024年3月13日(水)18:00~
チャンネル:WOWOWプライム

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