昭和の大女優・吉永小百合の気品と愛らしさを併せ持つ演技に注目!

※本編カラー作品
※本編カラー作品

昭和期を代表する映画スターとして知られる女優・吉永小百合は、1957年に11歳でラジオ東京のTVドラマ「赤胴鈴之助」でデビュー。1959年には松竹映画「朝を呼ぶ口笛」で映画に初出演を果たした。1960年に日活と専属契約し、同年の「ガラスの中の少女」で主役を演じて人気が上昇。1962年の映画「キューポラのある街」のヒロイン役が評判となり、ブルーリボン賞主演女優賞を受賞。人気絶頂ながらも早稲田大学第二文学に進学して無事に卒業している。28歳でテレビプロデューサーの岡田太郎氏と電撃結婚したが、その後も映画を中心に女優として精力的に活動を続け、1988年に映画「つる -鶴-」に主演し、映画出演は通算100作品に達した。90年代以降、女優活動は映画に限定し、ラジオやCM、朗読などの活動をつづけながら現在に至っている。

儚げな若妻を演じる吉永小百合 ※本編カラー作品
儚げな若妻を演じる吉永小百合 ※本編カラー作品

80年代まではドラマにも出演しており、特にTBS系の東芝日曜劇場には1969年の「24才 その7」を皮切りに、1980年の「小ぬか雨」に至るまで、計18作品に出演している。そのひとつが、1980年に放送された「不断草」という作品である。山本周五郎の小説を原作とする時代劇で、吉永は大義のために離縁された藩士の妻を演じている。武家の生まれであった菊枝(吉永小百合)が嫁いだのは、奉行所で重い役目を勤めて将来を嘱望されていた武士・三郎兵衛(林与一)の家だった。三郎兵衛の母・康代(三益愛子)と夫との3人暮らしを楽しんでいたある日、突然三郎兵衛から離縁を言い渡される。まったく訳が分からぬまま実家へ帰された菊枝。実家や親類から責められて苦しむ菊枝だったが、その後、三郎兵衛が康代をひとり残して城下を去り、行方をくらませたと知る。康代が盲目であったこともあり、その身を案じた菊枝は「秋」と名を変えて康代の世話係として奉公に出る。やがて時が経ち、秋が菊枝だと気づいた康代は、三郎兵衛が新しい政治の犠牲となったために菊枝と離縁したのだという真実を告白した。それを聞いた菊枝は三郎兵衛の心遣いをうれしく思い、これからも康代を支えて三郎兵衛の帰りを待つ決心をするのだった...。

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放送情報【スカパー!】

日曜劇場「不断草」
放送日時:9月1日(日)21:30~
放送チャンネル:TBSチャンネル2 名作ドラマ・スポーツ・アニメ
※放送スケジュールは変更になる場合があります

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