「一緒に戦っていきましょう!」重度の障害を負った滝川英治がすべての人に勇気を与える

2017年9月15日、不慮の事故が一人の俳優の運命を大きく変えた。
ドラマの撮影中、俳優・滝川英治が自転車で転倒。ドクターヘリで搬送されるほどのダメージだった。人工呼吸器などの医療機器が滝川の命を支える中、家族に告げられた診断は「脊髄損傷」だった。

「999年分泣いた」

診断を聞かされた時の心境を、滝川はそう語った。2.5次元俳優として名を馳せ、ドラマや映画などでさらに躍進しようかという時期だっただけに、その言葉には痛いほどの悔しさが滲んでいた。
10月20日にBSスカパー!で初回放送された番組「それでも、前へ」は、事故で重度の障害を負った滝川の葛藤と決意を綴ったドキュメンタリーだ。絶望の淵から立ち上がる彼の心情が見事にとらえられている。

事故直後は瞬きしかできない状態で、「あいうえお表」を指でたどるご家族に瞬きで合図し、やっと意志が伝えられるほどだった。懸命の治療とご家族のサポートにより、滝川はリハビリを受けられるまでに回復。そして彼の中に、ある決意が芽生える。
昨年11月にブログを再開した頃から、診断は公表しても、手足が動かない症状は伏せていた。心配する家族は反対したが、滝川は今年2月に症状の公表に踏み切った。

「今の自分がこういう状況ですって、やっぱり伝えないことには何も見えてこない」

さらに彼は、ドキュメンタリー撮影について打診する。「今の俺を撮ってくれませんか」と。取材は7月中旬から始まり、カメラの前で滝川は語った。
「周囲の人が言うんですよ。身体が良くなったら仕事したらいいじゃんとか。じゃあ車椅子にちゃんと乗れるようになったら良くなったのか。手足が自由に動いたら良くなったのか」
滝川が顔を歪めた。取材陣の前で弱さを見せた。
「本当に芝居しかしていない20年ぐらいだったから、それが一気に遮断されて、じゃあ次に何やろうかなんてそんなすぐには考えられるはずはなくて」
「人間、すぐに前向けるの? 実際、俺ホントに前向けてるのかなって」

突然動かなくなった身体。見えなくなってしまった未来。戸惑うのも当然だろう。しかしやがて、心境に変化が現れる。彼は病院でこんなシーンを目撃したという。
「小学校くらいの女の子が車椅子乗ってて、下にペットボトルが置いてあって。足の指でペットボトルをつかんで、足で口まで持ってきて飲んだり、それを見守るお母様がいて」
似た境遇にある少女が、ありのままの自分を受け入れ楽しんで生きている姿だった。その時の心境の変化を、滝川はこう語っている。
「(自分も)別に嫌な姿でもないし、僕は堂々と今の自分を伝えたいって思ったし」

自分を受け入れ始めた滝川は、次々と行動に出る。「口で絵を描く体験会」を訪ねた時は、やはり脊髄損傷で手足に障害を持つ画家の古小路浩典と出会う。変わってしまった自分をどう受け入れるか。受け入れて、どう未来に向けて生きていくか。古小路と出会ったことで、滝川はそのヒントと勇気を手に入れたのかもしれない。

退院に向けて、滝川は外出の機会を増やしていった。「退院したら一人暮らしを始める」という希望を叶えるために物件の内見に出たり、長年の俳優仲間と再会したり。この時の歌手・俳優KIMERUは「僕、(滝川が)大嫌いだったんですよ。事故にあって前向くようになってから、尊敬できるところがすごい増えて、今を生きようとしていてすごくいいなと思ってます」と語った。
滝川は確かに変わっていた。俳優仲間との会話では、滝川は「早く良くなって復帰するから。またお前らとなんかやりてえわ」と、未来への意欲も見せていた。

退院に向けてリハビリも続け、身体のバランスを崩して起き上がれなくなった時、滝川は言った。
「肉体的に弱いわけだから、精神的には強くなんなきゃいけないんですけどね」
その言葉通り、滝川は強くなり始めていた。現実を受け入れ、未来に目を向け始めていた。重度の障害を負った自分と向き合って。

退院の日が来た。滝川の新しい人生がいよいよ始まる。最後に滝川は、視聴者に向けてこんなメッセージを送っている。

「僕と同じ境遇、いろんな困難や逆境の中戦っている方々へ。一緒に戦っていきましょう!」

絶望から立ち上がり、人を勇気づける人となった滝川英治の爽やかな笑顔が、番組の最後に映し出されていた。

文=堀真二郎

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放送情報

滝川英治ドキュメンタリー「それでも、前へ」
放送日時:2018年11月23日(金)13:00~
チャンネル:BSスカパー!
※放送スケジュールは変更になる場合がございます。

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