プロレスラー・天龍源一郎へとつながる大相撲力士・天龍が見せた可能性

写真左から、やくみつる、天龍源一郎(元前頭筆頭・天龍)
写真左から、やくみつる、天龍源一郎(元前頭筆頭・天龍)

「天龍」といわれて多くの人が思い出すのは、全日本プロレスや新日本プロレスなど数々の団体を渡り歩き、プロレスラーとして活躍してきた天龍源一郎だろう。彼がプロレスラーになる前は大相撲力士だったということを知っている人でも、その当時の映像を見たことがある人は多くはないだろう。

天龍のプロレスデビューは1976年11月13日に、まげ姿のままアメリカで行ったテッド・デビアス戦だ。そして2015年11月15日に東京・両国国技館で、オカダ・カズチカとのシングルマッチを最後に、40年のプロレス人生に幕を下ろしている。現在の中高生からすると、独特のしゃがれた声のタレント・天龍としての印象の方が強いだろう。力士である天龍の姿をリアルタイムで見ていた記憶があるのは、50代より上の人たちだ。

■大関も夢ではない、将来を期待されるスピード出世

限られた層だけが当時のことを記憶している、力士としての天龍とはどのような存在だったのか数字で見てみた。分かったことは、大関が目指せるほど期待の力士だったということだ。天龍が関取になったのは21歳の時。そして十両を順調に通過し、22歳の時点で新入幕を果たしている。そんな破竹の勢いで出世していった天龍は、「二所ノ関のポープ」や「大鵬二世」と呼ばれていた。

これがどれだけのスピード出世かというと、今年の9月場所の中で22歳以下の幕内力士は、2桁勝利を挙げたホープの琴勝峰と、朝青龍の甥(おい)である豊昇龍しかいない。現在は大学を卒業後に入門する力士が一定の割合でいる時代なので、一概に同条件での比較はできない。その上で、現在に当てはめると2人しか達成していないほどのことを、天龍は成し遂げているのだ。

さらに天龍は、23歳で前頭筆頭にまで昇進。参考データとして、初三役が24歳以下の力士は半数が大関に昇進している。つまり大相撲は、若くから可能性を見せている力士の多くが出世をしているのだ。例えば千代の富士は、横綱昇進が26歳と遅咲きといわれることが少なくないが、十両昇進は19歳と若い。伸びしろは、若い頃の活躍から測ることができるといえるだろう。

■大相撲界のホープに降り掛かる不調と部屋の分裂騒動

天龍も三役一歩手前までは、若くして来ることができた。このペースで行けば24歳以下での初三役、その多くが大関昇進を手にするエリートとしての未来も見えていたのだが、ここから天龍は不調にあえぐことになる。1年半後には十両に転落し、時同じくして押尾川部屋の分裂騒動に巻き込まれて大相撲の世界に別れを告げる。

不調の原因が、この騒動であったことは想像に難くない。天龍は力士として大いに可能性を見せながらも不運もあり、才能を完全に開花させることができなかったのだ。そんな天龍の力士姿の貴重なアーカイブ映像とトークは、フジテレビONEの「大相撲いぶし銀列伝 #34 天龍篇」で見ることができる。

■見る者を熱くさせるプロレスラーとして才能を開花

日本のプロレスの父ともいわれる元力士の力道山も最高位は関脇だが、そこで勝ち越して引退している。天龍も力道山同様、最後の場所で勝ち越しをしてからプロレス界に旅立った。「相撲崩れでプロレスに来たと思われなくなかったから」と天龍は言う。そして、力士としてやり残したことがある者が、その後の人生で大きな花を咲かすことになるのかもしれない。プロレスラーに転身した天龍は"天龍革命"を起こし、全日本プロレスにそれまでなかった激しいプロレスを展開する。

大相撲時代は平幕と横綱という関係性だった輪島に対しても、リングシューズのひもの痕が額に付くほどのキックを見舞う。その後、これに触発された日本に総合格闘技の礎を築いた"格闘王"前田日明が、第二次UWF設立する流れを産むことになったという。プロレスだけでなく日本の総合格闘技の流れを追って、天龍にたどり着くというのもまた興味深い話だ。

文=西尾克洋

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放送情報

大相撲いぶし銀列伝 #34 天龍篇
放送日時:2020年10月28日(水)0:00~
チャンネル:フジテレビONE スポーツ・バラエティ
※放送スケジュールは変更になる場合があります

最新の放送情報はスカパー!公式サイトへ

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