声優初挑戦の萩原利久×古川琴音が語る、声だけで表現する難しさ 『花緑青が明ける日に』で得た手応えと発見
俳優
――萩原さんはベルリン国際映画祭に参加されましたが、日本とは違う反応や質問はありましたか?
萩原「実感として、まったく異なる世界に見えました。どちらがいい悪いという話ではなく、映画の捉え方、映画というものの意味が、国や場所によってこんなに違うんだなと肌で感じたんです。質疑応答の場でも、作品内容に触れる質問もありつつ、最初に出た質問が"AIの台頭で俳優や声優がいなくなる未来もあるかもしれないが、あなたはどう捉えていますか"というもので。もちろん考えたことがないわけではないけれど、こういう場で投げかけられた経験はなくて、まずそこが驚きでした。海外では、意思表明や主張を公にする場としての側面が強いのかもしれない、と感じましたね。映画が娯楽であることに加えて、社会的な意味を強く持つものとして扱われているのが、映画祭という場なのかな、と。答えによって次の質問が生まれていく流れも含めて、"この映画はどうだったか"だけじゃなくて、"あなた個人は、どんな意思でこの映画と向き合っているのか"を見られているニュアンスがあって。社会科見学みたいでした」
古川「私も、一昨年フランクフルトの映画祭に行ったときに似た体験をしていて。"この題名についてあなたはどう思いますか"とか、作品そのものにプラスして、"あなたはどういう俳優ですか"というところまで見られている感覚がありました」
萩原「文化の違いは強く感じましたし、映画一つとっても、捉え方や関わり方はいろいろある。経験として、すごく大きかったです」
――本編をご覧になって、率直にどんな手応えがありましたか?
萩原「自分の声がスクリーンから聞こえてくることに、思った以上に違和感がありました。絵があって、そこに自分の声が重なる感覚がむずむずして......慣れるものなのかは、まだ分からないですね。ただ、収録時点では絵が完成していなかったので、完成版を観て"こんな色になるんだと初めて知る部分も多く、それは純粋に楽しみにしていました。特に花火のシーンは、大きなスクリーンで観る価値が本当に高かったです。収録から完成まで、どの過程にも"初めて"があって、すごく面白い経験でした」
古川「見終わったときは圧倒されました。ただのアニメ映画ではないというのが第一印象です。絵の繊細さや美しさ、ユニークな見せ方ももちろんあるんですけど、それ以上に、セリフやテーマで考えさせられるところがたくさんあって。監督がこの物語を作るのに約10年かけたと聞いて、その時間の重みも作品から伝わってきました。監督の哲学が見えるような作品で、そこに自分の声を必要としてくれたことが、すごく光栄だと思いました」
――お二人が演じたキャラクターについてはどのように意識して演じましたか?
萩原「敬太郎は、映画の中での行動そのものも大きいですけど、それを突き動かすのは若さや青さ、狭い社会の中でもがく姿だと思うんです。大人になる過程で、大小はあっても多くの人が経験している部分でもある。反抗的な面も含めて、僕自身もまったく無縁ではないので、遠い存在には感じませんでした。ただ、演じるとなると難しくて。敬太郎は、声変わりをするかしないかくらいの年齢から物語が始まるので、少年らしさと、少しずつ大人になっていく感じを声で表現し分けなきゃいけない。現場でも手探りで、いろんなパターンを試しながら探っていきました」
古川「私が一番意識したのは、三人の関係性です。敬太郎は夢に向かって一直線に進んでいく。一方でチッチは現実を見据え、安定した方向へ舵を切っている。その二人の間で揺れているのがカオルで、年齢相応の葛藤がとてもリアルな存在だと感じました。だからこそ、まずは声をあまり作り込みすぎないで挑戦しました。ただ、最初に自分の声を当ててみたときは、声の芝居に不慣れなこともあって、カオルとまったく噛み合わなくて......。そこで考えていた答えを出すというよりも、収録に慣れて自分が自由になったときに自然と出てくるものを大切にしよう、と思うようになりました」
――カオルは常に揺れているけれど、すごくユーモラスでもありますよね
古川「ユーモアがすごくあると思います。日常会話の延長線にある面白さというか、わざと面白く言っているんじゃなくて、この三人だから成立する空気のユーモアなんです。だからこそ、それを自然に出すのが一番難しいな、と感じました」









