
――そんな不思議な魅力がある長津田をカナコはすんなりと受け入れます。私が驚いたシーンでもあるのですが、なぜ彼女は彼を受け入れたと思いますか?
橋本「本当そうですよね〜(笑)」
中川「まだ会って間もないのに手をとって踊って...(笑)」
橋本「『おもしれえ男』って思ったんじゃないですか(笑)」
――(笑)
橋本「映画では、カナコが男性に対して恐怖心があることを詳しく描いていないものの、私が演じるうえでは、その感覚がずっとあって大事にしていたところです。長津田が地面に倒れ込んでいるときに初めて彼の手をとるシーンがあるのですが、体から流れてくる情報って、ものすごい情報量だから、少しでも嫌悪するニュアンスが入ってきたら当然拒絶していたと思うんですよ。でも、長津田の手から入ってきたものが、ニュートラルで、自分が嫌悪するものではなかった...。そうして、長津田にだけは恐怖心を抱かなかったことが一番大きいんじゃないかなと思います。
一緒に踊るシーンも、傍から見たら少しロマンチックに見える行為だけど、カナコ自身、気恥ずかしさはありつつも、変に『自分は口説かれてる』とか『性的な目で見られている』という目線を一切感じなかったと思うんですよね。触れているのに、踊っているのに、怖くない...みたいな。 言い換えれば、『ありのままの自分でいられる唯一の存在』だったんだなと思いました」
――客観的に見て、カナコと長津田の関係性についてはどう思いましたか?
橋本「面白いなと思ったのは、カナコは冒頭『ちゃんと大学卒業しなよ?』、『将来のこと考えてよ』みたいなことを言うのに、実際に長津田がちゃんとしようとしたら嫌がったことです。『何をまともに生きてんだ!』って(笑)」
中川「あはは(笑)」
橋本「カナコって結構ぶっ飛んでるんですよ(笑)。『長津田は私より下じゃないとダメなのに、なんでこんな真っ当に生きちゃってんの?』って原作にも書いてあったんですけど、そういうどこかずるい気持ちがカナコのなかにはあったんだろうし、ただ『好き』というまっすぐな気持ちだけではなくて、グチャグチャとした自意識を含め、いろんなものが絡み合って、そこから抜け出せなかったのかなって思います。自分がそういう自分であることを止められないし、そういう自分のままで長津田が好きなことも止められない、本当はやめたいのに...って。すごく苦しんでいた10年でしたね」
――中川さんはカナコとのやりとりがあるシーンで、どんなことを考えながら演じていたのでしょうか?
中川「時間が飛んでいくお話なので、(演じるうえでも)時間の流れをどう表現するのか、すごく考えました。たとえば、最初の出会いやダンスシーンも、描かれているシーンのなかで『なぜカナコが長津田を受け入れたのか』を表現しないといけないし、そこに説得力がないといけない。お客さんが見ていない時間も含めて、長津田たちがどう生きてきたか、そのあたりの解像度をちょっとでも上げられたらいいなと思っていました」
――ふたりのやりとりのなかで、中川さん的に印象的だったシーンは?
中川「大人になって再会する場面があるんですけど、そこが自分的にはすごく心地良い時間が流れていたなと思います。若いときって横並びで同じ方向を向いて、走ったり、楽しいことをしたりしていたけど、大人になると、ふたりは向かい合って座ってる。腰を据えて話す照れくささもあるし、お互い外見が変わったけど、でもやっぱりあの頃の空気感にもなる。そのなかで、喉に引っかかっている一言が最後の最後まで出なくて、朝になっちゃう...というあのシーンが、ふたりの10年間の関係性がより出ている場面だなと思いました」

映画情報
映画「早乙女カナコの場合は」
公開日:3月14日(金)
原作:柚木麻子
監督:矢崎仁司
出演:橋本愛、中川大志、山田杏奈、臼田あさ美、中村蒼ほか
(C)2015 柚木麻子/祥伝社 (C)2025「早乙女カナコの場合は」製作委員会
配給:日活/KDDI
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