この制作陣の"トガった"姿勢に、三國、高倉、北大路は精力的な芝居で応えている。主人公的な立ち位置の次郎を演じる高倉は、自身の出世作「日本侠客伝」(1964年)でスター街道を歩み始めた時分で、誰も信用しない一匹狼の次郎を熱演。「足の引っ張り合いっこだ。蹴とばしっこだよ。お互いクソ溜めから這いずり出す競走なんだよ!」と主張し、自分が幸せをつかむには親だろうが兄弟だろうが犠牲を払わなければ成し遂げられないという考えで動いているため、最初はどこまで本気なのか図りかねる。
"食えない奴"ならではの飄々とした雰囲気を纏っているのだが、クライマックスの三兄弟がぶつかる場面では、鬼気迫る表情と口調で、兄と弟を前に本音をさらけ出すギャップで魅せている。また、高倉の真骨頂ともいえる「深い内面の表現」も顕在。三郎を殴りながら、「殴ることが苦しい気持ち」や「三郎の中に垣間見える自分への嫌悪」といった心の機微をアクション中でも繊細に表している。
■北大路も当時ならではの真っ直ぐな演技を披露

一方、物語のキーマンとなる三郎を演じる北大路は、現在の重厚かつ威厳のある芝居とは全く異なり、一本芯の通った若者を好演。自分を見捨てて家を出た2人の兄への復讐心と、「そんな兄たちのようにはなりたくない」という思いから仲間を守り抜こうとする信念を、ストレートに瑞々しく表現。
この頃の荒々しくも真っ直ぐな芝居を経て、現在の貫禄ある芝居に進化していったことが感じられて、「名優は1日にしてならず」であることを突きつけられる。さらに、先輩の三國、高倉にも負けない存在感を発揮しているところがさすがだ。末っ子は末っ子の"五分の魂"を貫き通すことで、三郎という市郎とも次郎とも違った人物として最後まで生き抜いている。









