上川隆也が見せた知的で不穏な存在感 "怪奇"の奥に人間の怖さを描く「怪奇大作戦 ミステリー・ファイル」
俳優

牧史郎という人物に説得力を与えているのが、上川の落ち着いた芝居だ。事件現場に立つ牧は、相手の言葉を急いで遮ることなく、まずじっと聞く。そこで得た情報を頭の中で組み立てるように、ひとつずつ原因へ近づいていく。だが、真相の輪郭が見え始めた瞬間、牧の表情にはわずかな変化が生まれる。被害者を思うまなざしの奥に、不可解な現象の仕組みを知ろうとする科学者としての好奇心がのぞく。その小さな揺らぎが、上川版の牧史郎をただ冷静な人物に留めず、怪事件そのものに引き寄せられていく存在として印象づけている。
上川版の牧史郎が面白いのは、怪事件を見る目に二つの感情が重なっているところだ。被害を止めたいという思いがあり、同時に、目の前の現象がどのように起きたのかを知りたいという好奇心もある。だから牧は、犯人の動機だけでなく、その人物がどんな発想で事件を起こしたのか、どんな技術を使ったのかまで見ようとする。人を救おうとする責任感と、怪奇の仕組みに近づこうとする科学者の本能の両方を、上川は落ち着いた口調や視線の動きの中に浮かび上がらせており、改めて上川の芝居の巧さが表れている。
「怪奇大作戦」というタイトルからは、奇抜な事件や特撮的な見せ場を思い浮かべる人も多いだろう。だが「ミステリー・ファイル」が描いている怖さは、怪事件を起こす人間の心にある。寂しさ、嫉妬、復讐心、知識への執着。誰の中にもあり得る感情が、科学と結びついた時、常識では考えられない事件へと変わっていく。ありえないはずの怪奇が、急に現実の延長にあるものとして迫ってくるのだ。
本作は、上川の主演俳優としての安定感に加えて、知性の奥にある危うさを見せた作品でもある。牧史郎は頼れる人物でありながら、事件の外側から冷静に眺めているだけの存在に収まらない。真相に近づくほど、人間の闇や科学の怖さにも深く踏み込んでいく。上川はその距離感を大げさに見せず、落ち着いた表情や静かな佇まいの中で表現している。
知的で、落ち着いていて、安心感がある。けれど、その奥には少しだけ底の見えない怖さもある。牧史郎という役を通して、上川は"怪奇"をただの作り話ではなく、人間の中から生まれるものとして見せている。その説得力こそ、本作で味わえる上川の魅力である。
文=川崎龍也











